スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
静かな夜につまらぬことを… 
なんだか、とても静かな夜に「心地良いな!。」と思いつつ…。田舎に暮らすことを考えはじめた20数年前、こんな夜があったことを思いだした。

仕事は電気関係。そのジャンルは、店舗などの照明デザインや、さまざまなジャンルの製造業のラインの自動制御の電気計装など。だけに、一年中、季節に追われ続ける日々だった。

しかも、その季節は、世の中の当たり前よりも常に半年ほど先ばしる。つまり、いまのシーズンだったら夏のことを…。春になったら秋の季節を考えて…。当時のわたしにとっての季節とは、けして、日々の暮らしに自らが感じるものなどではなくて、常に「誰かのために思うもの!」だったのだ。

そして、その「誰か…!」とは、自らが直接関わることなどまるでない産業主義的社会構造の中の見知らぬ人々である。つまり「エンド・ユーザー」と言う名前の…。

これは、いまの時代に取り立てておかしなことではないのかも知れない。だが、当時のわたしには「これで良いのか!?。」という疑問が、いつも脳裏にあった。それでも、いまだ若かったころには、なにか自分たちが、新しい時代のトレンドやムーブメントをつくっているかのような錯覚に高揚させられたこともあったに違いない。

また時代は、いわゆる「バブル」に向かって止まることなどとても意識できない状況にあった。だけに、経済的にそれなりに恵まれていたことが、却って、自らの「生きる」に本来的に大切にしなければならないものを見失わせる状況にあったのかも知れない。

ともあれ、北は北海道から南は九州・鹿児島まで、全国を相手に仕事をしてきた。これがもっともひどかった時には、新車で手に入れた車の走行距離が、わずかに一年で10万キロに達したこともあるほどなのだから我ながら唖然とする。考えるまでもなく、これを単純に計算しても毎日300kmもの距離を移動していたことになる。仮に時速100キロとして、一日3時間以上をその移動に過ごしてきたということだ。そして、現実には、わずかに3時間程度などということはあり得なかった。

賃貸料が月に20万を越えたマンションは、どんなに気取って設えても、平均すれば、週に2日ほど寝るために帰るだけ…。大半は、ビジネスホテルか、移動の車の中に過ごしていたことになる。

ある時、これに気付いて愕然となった!。つまり、「自分の人生とは、いったい何か!?」と…。

ともあれ、これが「田舎に暮らす」ことを本気に考えるきっかけになった。

だが、現実に、それがどういうことなのかを理解できずに、まずは「ユーノスロードスター」というおもちゃを手に入れた。つまり、自分の本当に望む「田舎暮らし」を探すためにである。

いまにして思えば、これは、自身の些細なキャリアや経験などをその後のライフスタイルに活かしたいなどと考えていなかったからであるようだ。また、その田舎暮らしを「望まれて…!」することも避けたかったからである。じじつ、この車を駆って訪ねた先々で、真面目に田舎暮らしを考えていると言っても大半の場合信じてもらえなかった。

そう、それで良いのだ!。

善人を気取るつもりはないが、見知らぬ土地で田舎暮らしを始めようと考えていたわけだから、できるだけその地元に益することも心掛けようとは意識していた。だが、移住する前から、なにか「期待される」ような状況はない方が良いと思えたのだ。つまり、余所者はどこまでも「怪しいやつ…!」ぐらいが、ちょうど良いはずだと…。

それがどういうことであっても「変化を望む」とは、つまり「受け入れる」ことであるのだろう。そして、受け入れるためには、自らが「望んで」こそ、その「なにものかを受け入れることが可能」なはずなのだ。つまり、十分に互いを理解しないままに「望まれたから」などと動けば、必ずや「こんなはずじゃなかった!?」になりかねない。

つまり、「受け入れる側」とは原則的に「変化を望まない」と理解するし、ときに状況が変われば、たやすくそのすべてを元に戻すことが当たり前に出来るポジションでもあると思えるからだ。そして、「正論」とは、人それぞれに違うものなのだと考えるのだ。

だけに、おもちゃのような車を乗り回す「怪しいやつ…!」と思われるぐらいがちょうど良い。当然、これで移住のための難易度は否応もなく上がってしまう。だが、自らの移住に関わるさまざまな人々の立ち位置を思えば、「移住する側」とは、それぐらいの意識を持って当然だろうと考えるのだ。

東北縦貫道から八戸への道が分岐する辺りに「七時雨山」という美しい山がある。だが、いわゆる山岳と呼ぶには程遠い。夏の間は岩手牛の放牧が行われるのだが「美しい高原」と言った方が的を得るのかも知れない。

ここをロードスターを駆って訪ねて、気に入ってそのまま10日ほども過ごしたことがある。

確かに風景も美しかったのだが、そこで出会った人に魅せられたのだった。そして、おもしろいことに、わたしの記憶にはまったくなかったのだが、この人物に出会ったのがこの時が初めてではなかったのだそうだ。

その「七時雨」から、さらに10数年前。つまり20代のはじめのころに、北アルプスの穂高・涸沢で小屋番をした時代があった。ここで一度、会ったことがあると彼は言うのだ。

すこし病んで、つまり「死に場所」を探すかのような山旅だったのだという。ここで、小屋番の合間に、いまで言うボルダーリングに明け暮れていたわたしに出会ったのだという。

「フリークライミング」という概念すら、いまだ一般的ではなかった時代であった。だが、当時、いわゆるアルパインスタイルのクライミングに飽き足らず、フリーソロにもちかいクライミングをしていたわたしのトレーニングを目にして、自らの「立つ位置」について、深く考える機会を得たのだと彼は言うのだ。

だけに、わたしに彼の記憶はまったくない。だが、その服装や状況の説明を聞けば、すべてが、確かにその通りだった。

そして、彼は言うのだ!。

「すべては、あなたに出会えたおかげなのだ!涸沢で、あなたのクライミングを目にすることがなかったら、もしかすると自分のいまはないかも知れない。当然、ここを(七時雨)を訪ねてくれる人々が羨んでくれるほどに心地良い、現在の暮らしなど、あり得なかった…!。」と…。

涸沢を訪れたときの彼になにがあったのかなど知る由もない。しかし、人の「縁」とは、じつに不思議なものだと思えた!。

わたしの田舎暮らしには、あの美しい七時雨の風景の中に、この人物の言葉に学んだものが数多い。

とりわけ、その「立つ位置」について…。




スポンサーサイト
「起動不能」三枚百円のメリー・クリスマス!。 
なんともうれしくて笑いが止まらない!。

この数日、Thinkpad240zへのLinuxのminimalインストールに嵌っている。だが、3台ほど組み立てたところで、まともに起動しそうな手持ちのパーツがなくなってしまった。しかし、頑張って思い出したことや、あらたに理解したことなどを、今一度ぐらい体験して確認しておきたいとも考えたのだ。

これに、一度インストールが完了したマシンに「もう一度入れ直してみるか!」とも考えた。だが、さすがにそれも馬鹿馬鹿しい。なんとかならないかと廃棄予定のパーツを漁ってみたら、昨年の夏ぐらいにネットオークションで手に入れた「起動不能」のラベルを張ったマザーボードがあった。

しまね自然の学校の子どもたちに「ノートパソコンの分解組み立て」を教えたのだ。これに、高額な、新しいそれなど必要ない。むしろ、安心していじれるように、あえて「「起動不能」三枚セットで100円」などという代物を手に入れ使ったのだ。

つまり、通電チェックもしないで、ただただ子どもたちが組み立てては分解してを繰り替えしたパーツなのだ。これが気になって、むき出しのままCPUの冷却ファンも付けずに電源を入れてみた。

たしかに、モニターに出力するレベルに起動はしない。だが、よく見れば、電源が投入されたことを示すインジケーターが点灯する。これに、なんとなく、単純なメモリートラブルが思われて、オンボードのメモリーをカッターナイフで剥がしてみた。当然、「相当にラフに…!」である。

ついでに、永いあいだ、ゴミの中に「ホコリだらけ」だったことも気になった。これを水道の蛇口に水洗いをするという暴挙も、ついでの実験ということでしてみたのだ。

これを乾燥させ、まず64MBのメモリーを積んで起動してみたのだが…。

笑いが止まらない!。

多少の期待感がないわけではなかった。しかし、まるで何ごとも無かったかのように、モニターに、バイオス画面が立ち上がったのには驚いてしまった!。

そうなれば、あとの不安の種は「ハードディスク」だけである。この時代のマシンに当たり前に搭載されて、「トラブルスター」という別称をもらっていた某国産メーカーのそれは、やはり避けたい!。探せば、知人から数年前にいただいた40GBばかりの外付けのハードデスクが転がっていた。これをバラしてみれば、規格も合うし何とかなりそうだ。

半日ほど遊んで、これに「Ubuntu8・10」を minimal install してみた。

写真のマシンがそれである。

ちなみに、ディスクトップ環境は Openbox だ。これに、gdm (ディスクトップマネージャー)を外しただけではなく、 /boot/grub/menu.lst を書き換えてスプラッシュブートを止め、テキストブートするようにした。(ちなみにテキストブートさせることで、起動が速くなるだけではなくて、そのブートプロセスを目視できるようになる。つまり、勉強にもなるし、慣れれば、プロセスのエラーなども確認出来るようになる。こういうところをGUIで隠されてしまっては、いつまで経ってもコンピューターなど理解しようがないはずだ。)

結果、廃棄物から再生したセレロン500、搭載メモリー256MBのマシンが、パスワードの入力画面まで30秒もかからない。当然、不要だと思えるデーモンはできる限り止めてある。だが、だからと言って使う気になれないレベルの貧弱なインターフェースは耐えられない。

結局、Openbox に gtk2・0 やXfce4 など、数種類のエンジンをどのように組み合わせるかで「gnome」や「KDE」などよりも美しい環境が構築できるのだ。ちなみに install したソフトは、まず editer系が、Vim、Vixn、pyroom、medit、Leafpad、Gjots2、の他にGjiten(辞典)とkasumi(辞書)である。これにインプットメソッドは、Anthyとcannaをscimで使う。ちなみに画像用のソフトは Openbox の背景画像の設定のためにまずFehが必要。これにmirageとeogがあれば、Openbox の仮想ディスクトップ環境を上手に組み合わせることで、パワーポイントなどでは絶対に真似の出来ないレベルの独特のプレゼンテーションすら可能になる。

ちなみにPDFファイルを見るためにはEvince-gtkがお薦めだ。

言うまでもなくブラウザは firefox3・0 なのだが、これはさすがに重い。出きるだけアドオンを入れずにキーバインドをVimのように変えることができるVimperatorを入れている。当然、さまざまに高速起動のためのカスタマイズをしてである。

そのほかに、例えばメーラーはコンソールの上で動く mutt を使って Gmail をメインに使えるようにセットアップしているのだが、じつにこの mutt は凄いのだ!。起動から、パスワードの入力をする時間を入れても、500通ほどあるGmailのinboxの読み込みが、驚くべきことに30秒もかからないのだから嬉しくなる。

つまりは、こうしたことがCLI環境に起動するソフトの凄いところなのだろうと思う。ちなみに、この mutt も、また前出した Evince-gtk も、そのキーバインドがVim風だからVimを使う人にはまったく悩むことなく便利に使えるはずだ。

しかし、さすがに非力なマシンなのだ。いまどきのそれのようにDVDまでを楽しめるわけではない。だが、音楽ぐらいは、バックグラウンドに流して心地良く楽しみたい。つまり、ここでもCLIベースの moc を使う。詳細はここあたりを覗いてもらうとして…。じつは、このマシンスペックでもKDEのAmarokなども十分に動く。だが、これをインストールすればKDE系の幾つかのデーモンが入ってくるので、これを嫌った。そして、 moc の特筆すべきは、このソフトがX-window-systemに依存しないと言うことだろうか。

説明がすこし難しいのだが、moc は仮想コンソールだけではなくて、本当のコンソールの上で動くのだ。Linuxカーネルとは、つまりOSのコアのような存在なのだが、これだけではそれぞれのソフトは何もできない。このカーネルとそれぞれのソフトのあいだに、例えば Openbox のようなウインドウマネージャーやGnomeなどのようなディスクトップ環境がある。そして、そのウインドウマネージャーやデスクトップ環境とカーネルのあいだを取り持つのが X-window-systemなのだが、moc は、じつにこれに依存しないで動くことができるのだ。

つまり、 Thinkpad240Zなどのようにスペックの低いマシンを音楽サーバーのように使うに最適だということだ。コンソールで日本語の通る Jfbterm+Vimを使って原稿を書きながら、これにScreen+mocを起動してバックグラウンドに好きな音楽を流しつづける。

こんなことがThinkpadのように古いマシンでも出来てしまうのだ。とてもGUIな環境では出来ないことだ。

つまり、文字通り「ゴミ」の中から拾い出したマシンでも、Linux+CLI で、ここまで快適な環境が構築できるのだ。当然、セレロン500MHz などは、いまどきの PenIV 3.0 GHzあたりに比較すれば、30年ほど前の軽自動車と、現在のF3000クラスのレーシングカーほどに違うのだろう。

これを、同じ認識の下に捉えことは馬鹿げたことだ。かつて、クリフ・カットの「キャロル」が青春真っ盛りの18歳のころの愛車だった。そして、その記憶の中のこの車の楽しさ、心地良さは、現代のモンスターのような車に望むべくもない。

つまり、コンピューターなども同じことだろう。

気がつけば、この埃だらけのマザーボードを見つけ出した昨日は、クリスマスだった。つまり、なんとも嬉しい「クリスマス・プレゼント」であったようだ。

メリークリスマス!。そして、Viva! Linux !!。
これが「キャンプの料理だね!。」と… 
昨日は、しまね自然の学校のワンディ。(日帰りプログラム。親子での参加も可能。)

大流行りのインフルエンザの影響もあって、年内最後の焚き火小屋のプログラムだったにも関わらず、参加者は思いのほかに少なかった。しかし、子どもたちは、いつものように「これが本来の焚き火小屋の使い方だよ!」と言わんばかりの楽しい時間を過ごしたようだ。

野外が心地良いシーズンなら、小屋のまわりの用水や近くの里山に遠征して飽くまで遊ぶ。しかし、昨日は、山陰の冬らしく晴れたりみぞれ混じりの雪が降ったりとあいにくの悪天候…。しかし、こういうとき、焚き火小屋の子どもたちは、竹や木や鉄など、それぞれが様々なものを素材に細工をしたり、焚き火の料理を楽しんだりとかえって忙しそうだ!。

ちなみに昨日は、「今年最後の焚き火小屋で豪華に食べよう!」と、すでにプログラムが決まっていたらしい。これを、この数年をリピートしてきている「すずちゃん」に、なにを作るのかと聞いたら「ビーフシチュウ・唐揚げ・温野菜のサラダ・ドーナッツのケーキ」と、こともなげに返ってきた。

子どもたちのキャンプの火は「調理のための炎」である。丁寧に並べられた太い薪のあいだから、大きな炎がガンガン上がる。そして、それだけでは飽き足らず、すぐそばで、使い慣れた「ドラゴンフライ」というガソリンコンロが唸りをあげる。

「したいこと!」を、(出来るレベルに)してよい環境にいる子どもたちは、じつに寡黙に手際が良い。プロセスを考えながら、丁寧に「すること」に真剣だからであるのだろう。

だけに、そうした環境に、「させてやりたがる大人の存在」は、ときに大きな問題を引き起こす。つまり、「きれいに!もしくは、上手くさせよう…。」という思いが先に立ち、子どもたちの育ちに、失敗やトラブルの体験がどれほどに素晴らしいことなのかを見失ってしまうからなのだが…。

活気のある。しかし、それぞれが寡黙に過ごす時間が過ぎたころ、再び焚き火小屋を覗いてみれば、美味しそうな焚き火の料理が出来ていた。

そう、これが「キャンプの料理だね!。」と、思わず声をあげそうな…!。

大テーブルの真ん中に真っ黒なダッチオーブンがでんと据えられ、そのとなりには温野菜が優しそうな湯気をあげている。ちなみに大きな皿に盛り付けられたドーナッツケーキは「積み木崩し」気取ってみたのだそうだ。

ともあれ、特別なことなどなに一つなく。そして、すべてが特別なことなのだ。





豊かな暮らしを紡ぐ…(続) 
なんとも、じつに心地良い!。

先日のベロニカの会のnatuさんの「クリスマスツリーを作ろう!。」というワークショップに連鎖して、この10年ほどを考えてきたことの結論がでた気がするのだ。

つまり、われわれの社会の健全で本来的な有り様に、かつて「女性たち」が居た場所とでも言えば良いのかもしれないことが…。

ある知人の「こどもらが野遊びをしていないのです!。(その育ちを意識すれば…)心配でたまりません!。」という言葉に触発され、気づいてみれば「しまね自然の学校」という子どもたちの育ちの支援団体を15年に渡って続けてきた。そして、その団体が立った場所とは、子どもたちが感じ大切に思える「ふるさと」であり、そのふるさとならではの自然の中に、彼ら自らが体感し理解するさまざまな「事実」であった。

だが、その「しまね自然の学校」の活動を通して、どうにも「それだけでは足りない!なにか…。」を10年ほど前から感じてきた。

「子どもとは、なにか!。」

子どもたちの育ちの支援をテーマとする団体なのである。これを意識すべきは当然の義務だと考える。そして、その課題の先に意識されるべきは「次世代」という認識であるのだろう。

「我が子」であり「我が家の子」であり、ときに「我がところの子どもたち」であるわけだ。つまり、それがボランティアだろうがボランタリーなシステムであろうが、いわゆる市民セクターが「子どもたちの育ちに関わる」とは、そのままに「地域社会の次世代の育成」に関わるに他ならない。

必然として、そのビジョンは「個人的なレベルの認識に基づくもの」であってはならないし、そのツールとは、出来る限り、風景や風土、またその子どもたちが帰属する社会の倫理などとのバランスが十分に図られた「ヴァナキュラー」なものこそが意識されるべきである。(こうした認識を欠いた「指導的」なそれには、一見、スペシャルな体験の提供にみえて、じつは子どもたちを「飼育」するにも似た状況を作りだしかねないと意識されるべきである。)

だが、ここに参加する子どもたち一人ひとりのこころの有り様を意識すれば、いわゆる「冒険的」な体験教育事業に保護者の参加は望むべくもない。当然、そのプロセスやレベルが意識されるべきである。だが、子どもたち自らが、わくわくとドキドキをあわせ持って何ものかに向き合うべき状況に、「絶対的依存の対象である保護者」の存在はときに不利益であると理解されるべきことなのだ。

ここに矛盾するものを感じたのだ!。

つまり、参加する子どもたちの帰属する社会のエスノグラフィーを理解しないで、その「次世代の育成」に関わることが可能なのかという疑問をである。

かつて、われわれの社会の子どもたちの育ちの支援環境とはどのような状況にあったのだろうか。子どもの権利を擁護するそれも、そして、いわるゆ「ジェンダー」など、現代社会に既成概念とされる人権論のすべてを意図して排除し、これを考えてみた。

言うまでもない!。ここに、必然として意識したのは、つまり「母性」と「暮らし」である。

かつて、「子どもたちの育ちの支援」に特別なステージなど意識されていなかった。子どもたちの育ちの支援は、その帰属する社会の日々の暮らしに当たり前にあっただけのことである。そして、その環境に、つまり体験教育用語にいう「ファシリティーター」が存在するとすれば、それは「母性」である。

だが、ここにいう「母性」とは、そのままに「母」であるとは限らない。ときに父や祖父母であり、兄や姉であったり…。ともすれば、けして「優しい」とは限らない隣の頑固な小父さんだったりすることもあるのかも知れない。そして、たしかなことは、子どもたちの育ちに関わりその母性を発動する側が、そこに「自らの利益や権利」など意識しなかったということだ。

そして、そういう「母性」に支えられるからこそ、子どもたちは、ともすれば冒険ともいうべき初めての体験に出会うすべてを「事実」として理解し、受け入れることが出きるのだろう。

つまり、こうした「環境」を作るべきが、子どもたちの育ちの本来的な支援に必要なのだと理解するにいたったのだ。そして、その理解したものが「しまね自然の学校」の活動拠点をここ上津に動かし、「焚き火小屋」を生んだのだ。

「焚き火小屋」は機能である。上津のように、その風景や風土との関わりに満ちた社会に、かつて当たり前にあったその暮らしのさまざまなことを体験的に理解する環境といっても良いのかも知れない。

当然、ここでの主人公は、子どもたちと、その「母性」である。


「…曾祖母がどうしてもお膳を使いたいというのなら、わたしたちは尊重して付き合って、ダイニングテーブルなんかにしなければよかったのだ。段差のある食卓だなんて。
ダイニングという概念も、大きなテーブルも、わたしはきらいになった。…」


最近、親しくさせていただいているある知人のブログに、これがあった。

この知人は「曾祖母」のたくあんの食べ方に連鎖して、ご自身が育ったころの農家のダイニングの風景を思い返されている。

ここに、わたしは、イヴァン・イリイチがその著書「シャドーワーク」に捉えきれなかったレベルのものを教えてもらった気がした。つまり、戦後という時代が選択した産業主義的近代化の影響に、「台所」(つまり地域社会を支えた女性たちの聖域)が、いわゆる「モダン」という錦の御旗の下に半ば強制的に「ダイニング」にと変化させられたプロセスに、家人(とりわけ女性たちが)の意識に、どのような揺らぎがあったのか…といったようなことだ。

知人が感じたことは、つまり「個の主権が理解されたさきの「パーソナリティーをパラレルに認め合った結果」という文化的な状況である」と言えるのかも知れない。しかし、幼かった知人がそこに感じたことは「家族の崩壊の予感」ではないのか。つまり、幼い子どもであった知人は、その「絶対的な依るべき場所」であった「我が家」に、「ダイニング」というモダンが持ち込まれたことで、それ以前の「ヴァナキュラー」で「コンヴィヴィアル」な状況に変化が起きたことを感じとり、そこに不快なものを抱いたということだ。

そして、その場所とは「台所」なのである。

知人のブログの文章にこうした理解をしつつ、先日の「焚き火小屋」でのnatuさんのワークショップにお邪魔していた。そして、じつは当日のゲストのお一人はどうやら「ソーシャルワーカー」さんであったらしい。つまり、子どもたちの育ちの支援や、その暮らしの環境のさまざまな課題について、ワークショップを主催したnatuさんにご迷惑ではないかと思えるほどに話が弾んだ。

当然、参加された女性たちの繊細な感性や、その手際の良さにも影響されたこともあるかも知れない。だが、しかし、わたしはイヴァン・イリイチがその著書「シャドーワーク」に定義した「専業主婦」などという概念のなかに女性たちを封じ込めてしまえば見失われてしまう「女性たち」の本来的な立ち位置をたしかに理解させていただいた気がしたのだ。

「焚き火小屋」は、かつて女性たちが地域社会を支えた連帯ための聖域だったころの「台所」のように機能した。また、主催したnatuさんは、いわゆる「世話する人」のポジションを担っていたのである。参加した女性たちは、ここにその本来的な心地良さを感じとり、なんとも「嫋やかな」シーンを見せてくれたのだ。そして、だからこそ、心地良い静けさに満ちた時間の中で、思いおもいに寡黙な作業が進み…。その女性たちの手先に「誰を思ってこれを…!。」と、わたしは感じさせられたのだ。

丁寧に作業する女性たちの思いの中にあるものは、家人の健康と幸福と…。そのための本当の豊かな暮らしへの思いと…!。

つまり、次世代としての子どもたちの育ちとは、こうした状況にある女性たちが本来的に発動するものに依るべきなのである。





豊かな暮らしを紡ぐ… 
強い風が吹いたりみぞれが舞ったり、ここ数日、上津の谷は冬の山陰らしい空模様が続いている。だが、そうした天候にもかかわらず、我が焚き火小屋では、Veronicaさんのワークショップやしまね自然の学校のワンディ・プログラムなど、とても素敵に心地良い日々が続く。

穏やかな天候にも恵まれた今日は、ベロニカの会のnatuさん主催のワークショップがあった。テーマは、このシーズンらしく「クリスマス・リースを作る!」だった。

natu さんらしくと言うべきか!。その素材は、藤つる、松ぼっくり、どんぐり、椎の実、椿の実などなど…。これに鮮やかにきわだつ緑は、きれいな実を付けたままの「桧の葉」だったりする。つまり彼女が、ここ上津の里山から丁寧に集めたnaturallなものばかりなのだ。大きなテーブルに広げられたそれらに、初冬の少し寂しい風景の中に、これほどの豊かさがあるのかとあらためて驚かされてしまった。

「ものを正しく見る目を持つ」ことの如何に大切なことか!。

また!。参加された女性たち(残念なことに全員女性)の繊細な感覚と、その手際の良さにも関わるのだろうが、「人はパンのみの生きるにあらず」と言う言葉を、少し視点を変えて考える機会を得た気もした。

言うまでもなく、「人はパンのみの生きるにあらず」とは、つまり「思想」である。ときに、われわれは、ある種、究極の選択をせまられるときなど、この言葉を自らの胸中に深く刻むことがままあるようだ。

「人はパンのみの生きるにあらず…!」

だが、この女性たちのワークショップにお邪魔して、わたしはこの言葉を少し違うところに捉えることが出来た気がする。

なんとも「嫋やかな」シーンを見せていただいた。とても心地良い静けさに満ちて、思いおもいに寡黙な作業が進む…。その女性たちの手先に「誰を思ってこれを…!。」と感じさせられたのだ。

「やま寺に 梅一枝の観世音 垂るる頭は 誰が為にこそ」

数年前のある春の朝早く、ちかくの山寺に登ったおりに…。山門にすれ違った老婆が手向けたのだろう一枝の白梅が、観世音の堂に気高く香ってあった。これに思わず詠んだ一首である。

寡黙に、そして丁寧に作業する女性たちの思いの中にあるものは、あの山門に無言のままにすれ違った老婆が観世音に願ったことと同じものであるはずだ。家人の健康と幸福と…。そのための本当の豊かな暮らしへの思いと…!。

イヴァン・イリイチが「シャドーワーク」に捉えきれなかったものを教えてもらった気がする。

いわゆる「専業主婦」などという概念の中に彼女たちを封じ込めてしまえば、見失われてしまう母や妻や、「女性たち」の本来的な立ち位置を…。

「人はパンのみの生きるにあらず…!」

なぜに女性たちとは、かくも真摯に偉大なのだろうか!。



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。