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「溶接をする」 
「溶接をする」

半年ほど使わなかったエンジン式の溶接機が起動しない。本来的に野外での使用が想定されているとは言えメンテナンスもせず、野ざらしにもちかい環境に置いてあったことが災いしたようだ。

これを、どの程度痛んだのかを調べるために、その外装を分解してみた。外部にむき出しのコードの類の劣化はあるが、内部の電装部品などは思ったほどに酷くはないようだ。しかし、エンジンスターターがまったく反応しない。

見た目には目立った問題は見当たらないが、どうにもバッテリーが完全に自然放電をしてしまっているらしい。とりあえずガソリン・ラインのクリーニングとオイル交換をして、車のレスキューキットを使って起動してみることにした。

考えれば、わたしの田舎暮らしは「溶接をする」作業にはじまり、この二十年を日常的に溶接機とともにあったと言っても過言ではないかも知れない。その住まう「倶楽部はうす」や「焚き火小屋」の改装をはじめ、そこに必要なテーブルや椅子の類から調理に使う道具類までをこの溶接機を使って作ってきた。つまり、自らの暮らしに必要なものの大半を「鉄」を素材にして、この溶接機を頼りにすべて自作してきたということになる。

「鉄」を素材にして暮らす…。

いまどき、都市に暮らして、そのすべてを経済に委ねる人々には、その意味するところが見え難いことかも知れない。しかし、現実には、現代社会の人々の暮らしとは、この「鉄」なくして、もはや成り立たないレベルにあるはずだ。つまり、いわゆる「特殊鋼」などと言われるものも、その「鉄」の先にあるものだと言えるのだとすれば、それは、数え上げることなど出来ないレベルに人々の暮らしに深く関わるのだ。

そして、そのもっとも解りやすい例が、つまり「車」なのだろう。

現代の産業主義的なロジックは、じつに巧妙に、この「車」という道具に経済学的な資産としての価値があるかのような錯覚を、人々に与えることに成功したかのようだ。人々は、まるでそれが高額な衣料品や、やっと手に入れた高級住宅でもあるように、その表面を磨き上げることに余念がない。これを馬鹿げているとまでは言わないが、溶接機を片手に、若い世代の自慢げなそれらを見ていると情けなくて、少々悲しくなる。

まあ、価値観とは、確かに人それぞれに違うのだろう。だが、それがどの程度のことなのかを理解するために、一度車の塗料を全部剥いでみれば良い。出てくるのは、良くぞここまで薄くしたと言うレベルの二次利用などまったく出きそうもない「鉄くず」であるはずだからだ。

ちなみに、わたしはこの20数年をラダーフレーム構造の車に乗り続けている。当然、その理由は、「溶接機を使った修理」やメンテナンスが簡単に出きるからだ。だけに、現在のジムニーも、ときどきサビ止めのためのペンキは塗るが、ワックスなどをかけたことはない。

都市に暮らせば、その限られた条件やルールの中で、個性やオリジナリティーを主張することがなかなかに難しい。ひっきょう、人々は「モダン」と言う言葉に隠された「限られたものの中から選択する」しかない。つまり、ここに「作る行為」は、ともすると無駄な、そして、じつに難しいことであるようだ。

だが、しかし、溶接機を片手に、この二十年を田舎に暮らしてみて考える。本来的に田舎に暮らすとは「作ること」に終始する。ときに「作り」、また「造り」、そして「創ろう」という意識を持つことが出来なければ、つまり「田舎には、何もない!」と理解するほかになくなってしまう。

しかし、現実には、島根のような豊かに美しい農山村風景の中での暮らしにも、些細な便利を隠れ蓑に、地域から「個性やオリジナリティーを排除する」産業主義的価値観が蔓延するようだ。結果、人々が丁寧に育み育てた里山などの莫大な資源が価値のないものとして見向きもされず、大型量販店に並ぶゴミにも似た規格品が大手を振ってまかり通る。

そして、その理由は「農林業が機械化された」ことによるようだ。つまり、その暮らしや仕事のためのさまざまな道具類が「工業製品化」されたことに因ると言えるのかも知れない。

この社会的な変化は、農山村から、人々が、自らその風景や風土にあった暮らしに必要な「道具を作る」というもっとも大切な文化を破壊し尽したようだ。とりわけ、村々から「鍛冶屋」が消えたことは、その大きなきっかけになったのかも知れない。つまり、刃物などの「鉄」を扱う技能者が農山村から消えたのだ。

農業の機械化が進められ工業製品が農山村に入ったことで、まずは「鍛冶屋」が食えなくなった。そして、このことが、人々から「自分の手に合う道具」を取り上げる。ちなみに、工業製品とは、いわゆる「鍛冶屋」が作る「巧者な人の手に合う道具」に比べてみれば、圧倒的にそのクウォリティーが落ちるのだ。

つまり、自らに暮らしに必要なものを、その質高く自分で作るなど出来なくなる。

わたしが上津に転居して、はじめに関わった地元の方は、壊れた「鍬」を持ってきた近所の古老である。つまり、「これ、なんとかならんかね!」と…。そして、次は「出刃包丁」の修理である。

いわゆる農業用の刃物の鍛造が主な「鍛冶屋」の仕事に比べ、「溶接」という技術は圧倒的に「工業製品」の加工や修理に有利なようだ。だが、この技術は、主に規格品を生み出す工業環境に関わらなければ、つまり「業」として成り立たない。だけに、残念だが、この技術を持つ者が、かつての「鍛冶屋」のようなレベルに農山村に暮らすことは難しいことだろう。

だが、鍛鉄・鍛造によって刃物などを作る「鍛冶屋」の仕事に比べれば、わたし程度の溶接技術の習得はさほどに難しいことではない。出来れば、田舎に暮らすなら、この溶接に技術を手にすれば良い。つまり、その暮らす風景や風土との関わりを大切に、自らの個性やオリジナリティーを主張することが可能な新しい田舎の暮らしのためにである。

ちなみに写真は、知人が届けてくれたお手製のスモークベーコンを美味しくいただくために作ったグリルパンである。こうしたものが、溶接が出来れば、一時間もあれば作れてしまう。

また、薪を燃料にする「パン焼き窯」や「かまど用のグリル」など、本来的にこの国の農山村に無かったものをこれまでに幾つか作ってみた。そして、これらがじつに新しい時代の田舎暮らしの可能性を感じさせてくれる。

これから新しい田舎暮らしを意識する人々に、ぜひ「溶接をする」技術を身につけて欲しいものだ。

ともあれ、わたしの田舎暮らしの相棒ともいうべき「溶接機」の修理が済んだ!。

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「かまど」ご飯を… 
「…よくお焦げが美味しいと聞きますが、黄色く光ったお焦げのほうが美味しいのです。…」

数日前に、ある知人のブログにこの文章を見つけた。ちなみに、これはどこか縁遠い場所での話ではない。

知人とは、「『田園に豊かに暮らす』を考える女性の会」のVeronicaさんなのだ。だからして、この「お焦げ」の話は、彼女が、我が焚き火小屋に、わたしが築いた「かまど」を使ってご飯を炊いたときの話なのである。

これを目にしたときの思いは、ちょっと複雑だった!。いやいや、だからと言って、けして「うちの施設の話を自分のことのように…!。」などと憤慨したわけではない。むしろ逆なのだ!。

そこに住まいし、「かまど」を築いた自分が、Veronicaさんのこの文章を、「そうなのか!。」と読んでいる奇妙に気づいて唖然としたのだ。

当初は、面白がって毎日のように使っていた。だが、さすがに三升炊きの大釜を、日々に当たり前に使うことは、いわゆる「おひつ」など、この「かまど」を使って食べる文化に生まれたツールを手にすることが出来ない状況には難しいのだ。気づけば、一人用の「かまど風にご飯が炊ける土鍋」とやらを手に入れ、ガスを使う暮らしに戻っていた。

にもかかわらず、Veronicaさんたちが、この「かまど」を丁寧に使ってゲストを迎えたイベントの度ごとに、うれしそうにふんぞり返っている自分の馬鹿さ加減を知らされた気がしたのだ。

ともあれ、「一人暮らしだし、不経済だから…!」などという言い訳は、ここでは断じて通用しない!。当たり前だ!。焚き火小屋を使えば、原則的に燃料は無料だし、なによりも、どんなを素材を調理し料理しても、絶対に、焚き火小屋でのそれは「美味しい」のだ!。つまり、いまの自分の暮らしでは、経済的にも質的にも、食事に関わるすべてのことが、焚き火小屋を使うことが「最良」なのだ!。

にもかかわらず、自分がこれを遠ざけた「便利」とはなんだろう。

気になって辞書に引けば「…(名・形動)[文] ナリ 都合のよいこと。役に立って具合のよいこと。また、そのさま。…」なのだという。

これをそのままに、わたしの場合にあて嵌めて考えれば、「役に立って具合のよいこと」など一つもない。つまり「かまど」を使うことが不便で、ガスは「便利」だからなど通用しないのだ。

だとすれば、けっきょく結論は単なる「ものぐさ」。もしくは、ご飯が炊けるまでの間を「かまど」のそばに火の番をすることが「めんどう」だっただけ…!と言うことになる。

これに気づいて、自らの愚かさに、ただただ呻くしかなかったのだ!。

しかし…!。

たしかに、これは、わたしというの個人の馬鹿げたレベルの話であるのかもしれない。

だが、この話を、この国を40年ほど前に戻して考えてみたらどうなるのだろう。

暮らしのための燃料は、少なくとも循環型の社会環境が維持できれば、自ら造ることが可能であった。当然、その調理の質的なレベルについては、言葉にするまでもないことだ。

にもかかわらず、それらを捨て、恒久的に「燃料を買う」ことを選択したのはなぜだろう。40年前の日本人は、なにを理由に、いきなり、わたしのような「馬鹿」になったのだろうか。

なにかことを起こせば、必ず、そこには「熱変換」現象が起こるという理解は、物理学の基礎ともいうべき常識だ。そして、これを逆説的に捉えれば、熱源としての「燃料」を造れるとは、さまざまな可能性を持つということである。だけに、その「燃料」を捨てた社会は、その連鎖のさきで、じつにさまざまな文化を失うことになる。

「かまど」を捨て、燃料を「ガス」に切り替えたことで、人々の暮らしには具体的にどういう変化があったのだろう。まずは風呂であろうか。生活の中心にあった薪を捨てさせた「ものぐさ」は、必然、五右衛門風呂なども過去の遺物にと押しやった。

じつは、考えようによっては、たったこれだけである!。

これだけのことで、日本人は途方もない質と量の文化を、それと気づかず切り捨て、そこに連鎖して、子どもの育ちのための環境は言うに及ばず、「人の生き方」までを、歪めざるを得なかったようだ。

これを疑問に思う人は、身近な老人に聞いてみるがよい!。「風呂焚きしねえと母ちゃんにしかられる!。」と、夕刻、慌てて帰って行ったのは誰か!。また、今日は、お前の番だろうと「かまど」の「火吹き竹」を、兄や妹に突きつけられたのは誰かと…!。

些細な「ものぐさ」が、我が家の中から「子どもたちの仕事」までも取り上げた。そして、これは、子どもたちの家族の一員としての自覚にもっとも大切な、彼らの「育ち」に重要な機会でもあったのだ。

つまり、こうしたことが、われわれの暮らしに、じつに微細に連鎖する。そして、その究極が、いわゆる過疎にはじまる「中山間地域」のさまざまな課題なのだと考えるべきことであるようだ。

人々が「生きる」に、まず必要なものは(くだらない屁理屈を抜きにすれば)「水」と「食べ物」と「燃料」である。そして、これだけのモノがそろう場所があって、そこに暮らしを共同する隣人があれば、原則、われわれはどんな場所でも生きていける。

暮らしに必要な燃料を、千年を自給してきた薪の類から、恒久的に「買う」を選択せざるを得ない「ガス」や「石油」に切り替えた「便利」が、人々にもたらしたものは、その「自立」した暮らしの「依存」への転換なのである。

そして、この認識に気づくことがなければ、人々は「足ることの豊かさ」も見失うかのようだ!。

限りある資源への依存は、勝ち負けにこだわることを際立たせ、協調し、ともに真摯にあることの心地良さを忘れさせる。そして、その暮らしは、エスケープを許さない「共依存」とでも呼ぶべきもののなかに、荒れに荒れる。かつて、この上もない豊かな暮らしが当たり前にあった美しい故郷や、その山河は、その存在の意味さえも見失われ、ただただ人を拒絶する原野へと戻るのだ。

「食」の文化環境の変化が、その暮らしのすべてを変えたのなら、その「見直すこと」も、美味しい「かまど炊き」のご飯を食べることから、それらのすべてを考えてみたい。

ともあれ、今夜は、Veronicaさん自慢の美味しい、しかも新米の「かまど炊き」のご飯をいただくことが出来た!。

感謝だ!。




使う人を… 
ランチの後にのんびり野菜畑を眺めていたら、いつもの「じゃましていいかね!。」の声がした。「勾玉」の古老が、あたらしい作品を見せにきてくれたのだ。回を追うごとにその完成度が上がるそれに驚嘆しつつ、二人で盛り上がっていたら、焚き火小屋から地主さんのおばあさんの楽しそうな声がする。

おばあさんは、ふだん、とても静かな方だけにめずらしいなと思っていたら、「神戸から来られて…!。」と、ご親戚のご婦人を二人連れてみえられ焚き火小屋の話をして欲しいという。

「凄いです!上津に、こんな素敵なところがあるなんて…!!。」と、お二人は声をそろえて絶賛される。

嬉しくはある!。この数年の焚き火小屋の動きの中心にさまざまに関わる者として、これは、大変嬉しい言葉だ。しかし、うかがえば、お二方は、おばあさんのご主人のご兄妹だという。つまり、町にでて、町に嫁いで、もうずいぶんになるとおっしゃられたが、ここは故郷なのである。

「あなたは、凄い!。」と、感嘆の声をいただきながら、しかし、すこし不思議な気がした。

なぜなら、焚き火小屋には、これといって特別なものなど無いはずだからである。たしかに、これまでの上津になかった幾つかのデザインはあるだろう。しかし、その素材のすべては、ここ上津に当たり前にあるものばかりなのだ。つまり、地元の方にすれば、当たり前にありふれたものばかりなのである。

いつだったか!?。古老が「まげなことをしなさるね!。」と笑っておられて、この意味が分からず、笑い話になったことがあった。だが、その意味を教えていただいてから、個人的には、焚き火小屋に、この「まげなことをしなさるね!。」がもっとも嬉しい評価なのだ。

しかし、これはあくまで個人的なレベルの思いだと理解している。だけに、これをだれかに押し付けようなどとは、けして思わない。だが、それでも、すこし不思議な思いが残る。

わたしが、焚き火小屋にすることは、ときに「創ること!」も含めて大半が「作ること!」だ。そして、これらは、自分に「出きる」のレベルに過ぎないことだし、その「出きること」の難易度にしても、取り立てて評価を受けるほど凄いことなどではない。

これは、当たり前のことである。なぜなら、「出きること」とは、誰だって、無理すること無く「出きる」からするのだろう…。

だけに、お二人の「あなたは素晴らしい…!。」が、なんとも大仰にすぎて妙に解せない!?。

「目に見えるかたち」が評価され過ぎて、本来的に、もっとも評価を受けるべき状況や人々が見失われているような気がしてならないのだ。たしかに、焚き火小屋を作る側の中心に、わたしは居るのかもしれない。しかし、焚き火小屋は、作られただけで意味することなどあるのだろうか。

違うだろう!。ここは、“使う人がいてこそ意味がある”のだろうし、その意味することに触発され、意識するべきものを感じるからこそ、わたしは作るのだ。そして、現在、この焚き火小屋を、もっとも質高く使い関わる人々は「『田園に豊かに暮らす』を考える女性の会」と、そのゲストたちだと言えるだろう。

「ベロニカの会」の Veronica さんたちが、ここに上津ならではを大切に、この上もない素敵な使いかたをしてくれているからこそ、焚き火小屋にはその存在の意味が生まれるのだ。そして、だとすれば、現在の焚き火小屋に「凄い!」と思えるものを感じられるのだとしたら、その評価の対象は「ベロニカの会」さんたちと、その思いを共有するゲストたちであるべきだろう。

これは、「鉄のパン焼き窯」や「かまどのグリルパン」など、いわゆる備品のようなものでも同じことだ。「鉄のパン焼き窯」は、Veronica さんの「美味しいパンを焼きたい!」という思いと努力が無かったなら、それは単なる黒い鉄の箱でしか無いはずだし、そうした認識以前に彼女の思いがなかったなら、それ自体「存在することも無い」はずだ。当然、そのさきに、大勢の素敵なゲストが焚き火小屋にきてくれる状況なども生まれ得ない。

芸術的な衝動やインスピレーションによって、なにものかを生む創作的行為であるなら別なのだろう。だが、人々の当たり前の暮らしの中に、ささやかな便利や心地よいものを提供するレベルのツールを作ったり、その環境を整備するぐらいのことなど、大仰な評価をすることでは無いだろうと思えるのだ。

評価されるべきは、この上津に、丁寧に畑をされるおばあさんたちや、その野菜や美しい風景をこの上もなく大切なものと捉えて、焚き火小屋のすべてを使い切るベロニカの会のメンバーたちであるべきなのだ。できたら、上津を故郷に持つご婦人たちに、このことこそをご理解いただけたらと思えたのだ。

「巧者な人」と言う、じつに素敵な言葉がある。これは、かつて、地主さんのおばあさんのように「大地」に懸命に働く人を静かに支え、ベロニカの会の皆さんのように、地域に丁寧に暮らす人々のささやかな力になり得た人物を意味したのだろう。

この「巧者な人」が、わたしの上津の暮らしの理想なのだ!。

『木曜日の昼食会』 
「かくも贅沢なときがあっても良いのか!。」と思えるほどに、素敵に心地好くて、美味しいランチをいただいた。

今日は、我が焚き火小屋で、ベロニカの会の例会とも言うべき『木曜日の昼食会』があったのだ。これは「『田園に豊かに暮らす』を考える女性の会」を名のり、自らが暮らす上津の美しい風景の中にある大切なものに、自分たちの未来への思いを重ねて活動する彼女たちのもっとも大切な時間であるのだろう。

けして、ありがちな調理の勉強会や、皆で仲良く料理を楽しむことなどではない。自らが、襟を正すほどに大切に思える地元の野菜を「贅の限りを尽くして食した!」と感じることこそを大切に続けられる彼女たちの「昼食会」は、そろそろ4年目が過ぎようとしている。

今日のメインは、「かまど用グリルパン」を使った"秋茄子と鶏のもも肉をローストして、その後にビールで蒸したもの”とでも言えば良いのだろうか。秋茄子ならではの美味しさと食感と、幾種類ものハーブがブレンドされ、にもかかわらずうるさくなくて、柔らかてジューシーな鶏肉の旨味のあとにビールの不思議なほろ苦さが最後をしめてくれる。

これに、焚き火小屋の中心に据えられた「炉」に、ダッチオーブンで作られた「ジャガイモのチーズ焼き」に、薄切りベーコンをサンドしたサイドが添えられた。だけに、ここに当然、Veronicaさんのシンプルパンが出るのだろうと思っていたのだが、期待に反して、今日は、かまどで炊いた普通の白いご飯だった。

否…。これは、本当に「普通の白いご飯」なのだろうか!?。

全員が農家のお母さんたちなのだから、最良の美味しいお米が用意されたのは確かだろう。しかし、この「凄い!」と言いたくなるほどの美味しさは、それらとは、少し別のものに因るようだ!。

焚き火小屋を、完全に使いこなすようになった3年目ぐらいから、彼女たちの「火の使い方」は尋常ではない。「炉」に、ダッチオーブンを3台も同時に使って、さらにグリルやパン窯に火が入るなどといったことを当たり前におこなうのだが、ここでの彼女たちの動きは「洗練された所作」とでも言うべきものである。

また、焚き火小屋での彼女たちの燃料は、彼女たち自身が使いやすいようにすべて自分たちで小割にした「薪」なのだ!。(ちなみに、「炭」なども使わない!。)これらが必要なときにはガンガン焚かれ、ときには消してしまったかと思えるほどに小さな「焔」に落とされる。

そして、当然、ここで使われる調理用の道具のすべては重量級のダッチオーブンやグリルパンなのである。二口あるかまどに据えられる「羽釜」にしても、一度に 30食ぐらいを軽くまかなう大釜なのだ。それらを扱いながら、立ったり屈んだり、自在に振る舞う彼女たちを見ていたある女性が「まるで魔法使いか!妖精のよう…!。」と言ったことあるが、これにはわたしも同感だ!。

ときに、「料理は、科学だ!。」などと耳にするが、これはどうかと思う!。いわゆるクッキングヒーターや電子レンジなどで調理をするならともかく、本当に美味しいものを作る(もしくは創る…!)料理は、大原則として「本当の火」をどれほど自在に扱えるかにかかるだろう。ちなみに、お茶事の「炭手前」を思うことができれば、これは焚き火小屋だけの話ではないと理解できるはずだ。

また、この彼女たちも、ここでのレシピをそのまま自宅に持ち帰っても、生まれる料理はまったく似て否なるものになるそうだ。

ガスや電気や、ともすれば電磁波までを熱源とすることが当たり前になった現在、本物の「火」に宿る力の何たるかが、ますます見失われるていくかのようだ。ちなみにVeronicaさんは『鉄のパン焼き窯』でパンを焼くとき、窯の上と下では、その焚く木の種類を変える。窯の下にはクヌギ、楢、さくらや、ときに林檎の木などである。そして、窯の上には杉や桧にはじまって、枯れた孟宗竹などを窯全体の温度をあげるために使うそうだ。

聞けば、これが美味しいパンのために、やっと見つけたベストなのだそうだ。なぜなのかと聞いても「分からない!?」という。ただ、「美味しくなって…!。」と願いながらパン生地を手捏ねしていると、なんだか、「なら」とか「さくら」とか、その生地が教えてくれているような気がするときがあるという。そして、たしかにそうして焼いたパンが、抜群に美味しいことは確かなのだそうだ。


ちなみに『鉄のパン焼き窯』は、完全とは言えないまでも、窯の中にけむりが入らないように密封されているのだ。どうにも本物の「火」には、われわれが、最近に手にしたいわゆる科学などでは計りしれない大きな力が宿るようだ。そして、こうしたことを解して見れば、現代の調理環境がどれほど脆弱にして貧しいかを考えるしかないのだろろう。

「美味しい!」とは、いたずらにその食材やレシピの問題だけではないようだ!。

これは、しまね自然の学校の子どもたちの「食」の反応を考えても、同じ事が言えるようだ。キャンプに、焚き火の「焔」をツールに、子どもたちが主体的になれるようなプログラムを作れば、彼らに「嫌いな食べ物」などまったくなくなる。ピーマンなどの香りの強い野菜類も、肉や魚などの生臭さも、「本当の火」の前に抗うことなどできなくなるかのように子どもたちは変化する。

しまね自然の学校の「ワンディ」というプログラムは、親子が焚き火を囲んで共食することを強く意識しているのだが、ここでの子どもたちの「食」の状況に、大半の保護者が驚いていう。「家では絶対食べないのに…!。」と…。

ともあれ、ベロニカさんたちの活動を通して感じさせていただきはじめたこうしたことを、さらに深く考えたい。こうした思いがあって、例えば、今日、彼女たちがメインの調理につかった「かまど用のグリルパン」などを作っている。また、Veronicaさん御用達とも言うべき「鉄のパン焼き窯」にしても同じ思いに基づいて作ったものだ。

あとは、この先に、この「失われ、消滅しようとしているこの「焔」という文化」を、ここを訪れるゲストとともに再発見し、この国の持続可能な未来に向けてデザインし直すことこそを楽しみたい。

ともあれ、今日は、「かくも贅沢なときがあっても良いのか!。」と思えるほどに、ここち好くて、美味しいランチをいただくことができた。

嬉しいことだ!。
花もみじ苫屋も歌もなかりけり… 
週末のプログラムの準備に、てんてこ舞いしていた作業が一段落して「お茶しませんか~!。」の声に誘われて表にでて、なにげなく見渡した風景に「ああ、これか…!。」と、ひとり合点がいった。

「花もみじ苫屋も歌もなかりけりただ見渡せば露地の夕暮」

これは、数ある茶書のなかでも、抜群に教えられることが多くおもしろい『南方録』を記した南坊宗啓の詠んだ一首だそうだ。じつを言えば、これを最近まで、すこしシニカルに捉えていた。

この利休の高弟は、「堺の南宗寺の塔頭のひとつ集雲庵の庵主であった」とその存在は明確なのだが、書き記したとされる『南方録』の方はまるで"実在などしていなかった”かのように、どこにも読んだとか見たという記録がないのだそうだ。利休の没後100年がたって、筑前福岡藩藩主黒田家の茶人だった"立花実山によって書写された”と、突然、茶の湯の歴史に出てくるのだそうだ。だけに「偽書ではないか!?」という疑惑が永くあったと聞く。

そうしたことから、この一首を、定家の「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦のとまやの秋のゆふぐれ」を、すこしシニカルにひねっただけのものなのかなと感じていたのだ。

しかし、この美しい風景はどうだ!!。

秋のはじめの気配に満ちた夕刻の空に、クヨシの煙が風もなくおだやかにたなびいて…。人々の落ち着いた暮らしだけが静かにあって…。まったくもって「花もみじ苫屋も歌もなかりけりただ見渡せば露地の夕暮」と詠うべき、清く浄らかな美しい路地の風景そのものではないか。

いつだったか、『南方録』が偽書かどうかなどと詮議することなど、愚かなことだ!と、誰かが記したものを読んだ気がする。その記された茶の湯のこころこそが本当のことなのだからと…。

この上津の秋のはじめの美しい夕刻の風景に、確かにそうだと感じられた。


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