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ある残欠に… 
じてんしゃ 生涯、この日を忘れることなど無いだろうと思っていた母の命日。これに気付かず、幾日かを過ごしてしまった。

なんたる失態と慌てつつ、若い時代の残欠を、ぎゅうぎゅうと押し込めてきたカバンの中に、母の資料をまとめたファイルを探した。だが、今度は、そのファイル自体が見当たらない。

しまね自然の学校の拠点を現在の場所に移すことを決めた数年前、古い活動の記録をデジタル化するなどして整理した。その時に、個人的なデーターの一部も同じように整理したのだ。思いかえせば、そこには母のファイルも確かにあった。

しかし、その先がどうしても思い出せない…!。

たかが数年前のことである。そろそろ六十が近くなって、体力的な老いは、その日々の暮らしに感じることがさまざまにある。だが、それらは、命ある生身の当たり前のことだろうし、あまり気にもならない。

しかし、ことは、自分にとってこの上も大切なことと意識してきた母に関わることである。このおろかをどう理解すれば良いのか、思いも及ばぬままに…。

言うなれば、その残欠を寄せ集めて自らの記憶の中に没頭する数日を過ごすことになってしまった。

そして、その状況が、わたしのパーソナルなものに基づくのでなければ、「人間とは、かくも不幸な存在なのか!」と思わざるを得ないところから、その物語ははじまった。

アリストテレスは、その『悲劇論』に「カタルシス」という言葉を記す。これが心理学・精神医学などに使われれば「抑圧されていた心理を意識化させ、鬱積した感情を除去することで症状を改善しようとする精神療法」をさすそうだ。

まあ、しかし、そう言ったことについて難しく考えても、とりたてて具体的な意味など見出せない。わたしの事実とは、ただただ、その「カタルシス」を必要とするレベルの思いの中に、悲劇の扉を開けざるを得なかったというだけのことなのだ。

しかし、怒りや悲しみ、そして、絶望、憎悪などなど…!。なにゆえに、われわれの生きるにこうした「不快な言葉」が必要なのだろうかと考えてしまう。

二十二歳のとき、わたしは壊れた! 。

そう、「壊れた」という言葉がもっとも適切なのだ!。なぜなら、そこには先に記した「不快な言葉」などあて嵌まらない。厳密に言えば、わたしが数年を過ごした不可思議なときは、いまに思い返しても、それら「不快な言葉」などでは表現できず、理解しきれないレベルにあったのだ。

ときに、悲しみの中に立ち戻ることもあった。そして、怒りのさきの憎悪の限りに居たことも…。

そして、壊れつつも、その不可思議の中に、辛うじて止まることが出来たのは、ともすると「マザー・コンプレックス」などという言葉までを連鎖しなければ、理解し得ない母の存在によるようだ。

この言葉は、なぜか「母性」から自立できない人物を侮蔑するかのように使われる。馬鹿げた話だ。これは、その感謝の思いに身動きできないほどの「母性」に出会ったことがない。もしくは、それをそれと感じることが出来なかった者の妬みレベルの認識に基づく言葉なのではないかと、わたしは考える。

なぜなら、この二十二歳のときに、わたしはその母の存在こそに支えられたからである。

ここでも陳腐な言葉など使えない!。確かなことは、あの時に母が居なければ、わたしは、たしかに壊れ、その後を生きてなどいなかっただろうということだけだ。

そして、もう一つ!。わたしを支えてくれたものがある。

何日もなんにちも…。何ヶ月ものあいだ、わたしに「考えることを止めさせてくれた」道具である。「アルプス・ローバー」という名の「もの言わぬ相棒」とも言うべき存在だ。

そして、じつはこの相棒が、わたしに益してくれたものは「考えること」を止めさせてくれただけではない。この相棒とともに居たことで、その関わるすべての人々に、いわゆる「さまよえる異邦人」として向き合ってもらうことができたのだ。そして、この国の「止まる人々」は、じつに「さまよえる人」に優しかった。

「止まる人々」にとって「さまよえる異邦人」とは、いつの日か必ず居なくなる存在であるのだろう。そして、それを前提にする関係とは、つまり、その後に災いや遺恨といったものなどを意識させないですむのかも知れない。だけに、「さまよえる異邦人」が「さまよえる人」でありつづけるなら、人々は、その関係にこの上のない優しさを持って向き合うことが出来るようだ。

わたしは、どうやらそこにこそ救われた!。

どこをどう走ったかなど思いだしようもない!。ただただ、何ヶ月もの旅果てをさまよった。そして、何年ものあいだ、この相棒とそうした旅を暮らして、わたしは自らの内なる長いトンネルを抜け出ることが出来たのかもしれない。

母のファイルは、いまだ見つけられない。しかし、その失われた記憶を探すうちに、わたしという存在そのものを支えてくれた断片を、この懐かしい一枚の写真に見出すことが出来た。

しかし、残念ながら、この我が相棒も、いまは無い!。

せめて、甦った断片だけは、二度と失うことなどないように、この一枚の写真とともに止めて置きたいものだ!。
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「幸運なのか!。」 
これは「幸運なのか!。」それとも…!?。

ボロカメラを持ち出し、天窓から屋根の上に抜け出て…。昨日にくらべ、すこし数のふえた狂い咲きの「桜花」を撮っていた。風がでてきて、揺らぐそれを捉えるほどの腕もなく、あきらめて部屋に戻ろうとしたところに蜻蛉が舞う。

アキアカネだ!。あわててカメラを向けたのだが、となりの農機具小屋の古い石州瓦が背景になってまるで見えなくなる。ふと見上げれば、先ほどまで、雨でも来るかと思えるほどにどんよりとしていた空に、一箇所だけ、白く光る雲があった。

とっさに「これを背景にすれば!。」と考えた。しかし、天窓に戻って、建物の内部を通って…!。アキアカネが、そんな時間を待ってくれるわけもない。意を決して、屋根の上から4メートルほどの高さを跳んだ!。

時間にすれば2秒にも満たないはずが、ながく、ながく感じられ、同時に、はるかな過去が甦る。

明星山P2西稜末端壁の大凹角に、のちに「フラートス・ウェルヌス(春の息吹)ルート」と名付けたルートの開拓中だった。高さ200メートルほどの石灰岩の岩壁に、巨大な木の葉のようなかたちをした大凹角の真っ只中を直上するクラックを、パワフルなレイバックで豪快に攀じり、核心部のハングを越えたところでレストに入った。

と言っても、休める場所があるわけではない。大岩壁とフレーク状の岩の間に左足をロックして、その少し上のクラックに左の腕を肩の付け根までねじ込んで、岩の内部でジャミングをしてレストしようと考えたのだ。

クラックの中に、ジャミングするポジションを探っていた指先が、奇妙な柔らかいものに触れた気がした。刹那、岩の中で「ギャァー!!」と声がして…。「ヤバイ!」と感じて抜こうとした腕の上を走って、なにか黒いモノが飛び出してきた。悲鳴もあげられず、身動きもできないままに顔を背けたら、それは、わたしの肩を蹴って宙に跳んだ!。

あわてて目に追えば、その黒いかたまりは、突然、四角い布のように広がって、はるか下方の沢沿いの森に向かって滑空する。

ムササビだった!。セカンドを攀じってきた相棒は「すげぇー!おい!。ムササビが下に滑空するのははじめて見たぜ!!。」と珍しい体験に興奮していた。

着地した砂地の沈みこむのを感じ、そのまま前方に転がって…。見上げれば、まだ、アキアカネは桜の細い枝のさきだ!。立つのももどかしく、そのまま白く光る雲だけを意識して、シャッターを切った途端に、蜻蛉が翔んだ!。

風に乗って、流れるように…!。

怪我が無いかどうかを確認しつつ立ち上がったところに、近所の古老の「だいじょうぶかね!?」の声がした!。「屋根の上でなにかをしていると見ていたら、いきなり、あんたが落ちて…!。」ビックリしたという。

あの五月の明星山の新緑の森を滑空するムササビと…!。風に乗って、流れるように翔んだアキアカネと、「蜻蛉がって、あんた…!?。」と怪訝な古老の顔が、あたまの中に交互に入れ替わってぐるぐる回るのを感じた。

まったく、人騒がせな人生ではある!。




おさなごに… 
きっかけは、なんだったのだろう!?。

「不登校」や「引きこもり」、そして「ニート」などと言われる子どもたちや若い世代の現状の理解と、その対策について考えるシンポジウムやさまざまな会議に参加する機会を得たことに由来するのかも知れない。

そして、しまね自然の学校という子どもたちの育ちの支援団体をながく続け、ここで出会った子どもたちの当然とも思える彼らの育ちの中の「揺らぎ」や「揺れ」に感じてきたものに比較して、そうした機会に耳にする若い世代の状況と、その対策を議論する人々の意識し、理解しようとするものに少なからぬ疑問を感じたからに他ならない。

ともあれ、「体験もない自らに、なにが語れるのだろう?。」と、その引きこもりを意識してから2年がちかい。そして、擬似的なレベルではあっても、なにかを感じることが出きるのではないかとはじめたそれには、じつに心地よくて素晴らしい体験がさまざまにあった。また、そうした体験に連鎖して、大勢の友人や知人、仲間たちとの関係に「自らの立つ位置のようなもの」が明確になったようにも感じてもいる。

今日は、我が焚き火小屋に、とても素敵なゲストがあった。「『田園に豊かに暮らす』を考える女性の会」に依頼のあった、あるグループの昼食会にお母さんとともに参加した未だ2歳にもならない可愛い女の子だ。

いわゆる人見しりもせず、「健やかな育ち」とはこういうことかと納得させられたほどに可愛いお子さんだった。そろそろ六十がちかい年齢になった。とは言え、正直を言えば、この年齢の子どもたちを前にすると戸惑うことばかりなのだが、今日は、この可愛いレディーに、気持ちよく遊んでもらうことができてとてもうれしい。

飛んだり跳ねたりするでもなく…。この年齢のお子さんとは思えないほど静かに、大人たちとともに焚き火小屋の少し贅沢なランチを楽しんで…!。しかし、思わず微笑まずには居られないこの写真のおしゃまなポーズはどうだろう!。

とても心地よく、この子の可愛いバイバイを見送ったあとに、自らの「引きこもり」の疑似体験をも意識しながら、いわゆる「育ち」について考えてみた。

言葉にするまでもなく、このおさなごの健やかな育ちは、その父や母の大きな愛情に育まれてこそなのだろう。しかし、では、それらはすべて、この子の後天的な「学び」の中にあるものだろうか。

しまね自然の学校の子どもたちとの関わりに学んだことや、「なぜ、おさなごは泣くのか!?。」という疑問のさきを解すれば、子どもたちには、誰の中にも「育とうとする力」が宿るのだ!と考えるほかにない。そして、今日の昼食会に参加されていた一人の女性が、この小さなレディーの可愛い振る舞いを見ていて「誰もが、こういうときがあったのよね!。」と口にされた言葉がこころに残る。

つまり、「生きる」と言う言葉に置き換えられても良いだろう「育ち」とは、DNAレベルに記憶された本能的な力にも似たものに、まずは支えられてあるようだ。

この、おさなごの健やかなさまはどうだ!。

本来的に、これほど健やかで穏やかな育ちの中にあった子どもたちが「不登校」や「引きこもり」のラベルを張られ、また「ニート」と呼ばれて「その社会性に問題を持つ存在」としてあつかわれなければならない理由とは、いったいなんだ!。また、そうした状況とは、なぜ故に生まれるのか!?。

10 代の終わりに登山する楽しさに目覚めて…。以来、20代の大半をこの遊びに没頭した。そして、じつを言えば、この頃に理解したことやその記憶は、いまでも、自らの人生にとってこの上もなく大切なものである。だが、しかし、その20代を振り返りつつ、現在の「引きこもりの疑似体験」を考えてみれば、じつは、その質的なものに違うものなどありはしないのだ。

たしかに、「不登校」や「引きこもり」を経験したわけではない。だが、それらと、登山に明け暮れ、登山のために我慢しつつ生きた自らの青春の最中とに、その質的な違いなど、まるで見出せないのだ。

「定住漂泊」とは、金子兜太だったか。

「…人間にはさすらい感、漂泊の心性というものがある。世の中が豊かになればなるほど逆に、これは強くなる。現代とは、山頭火のようにすべてを捨てた放浪ができる時代ではない。定住して漂泊心を温めながら、生きるというかたちもある…」

考えれば、社会に同化できない苦悩の中に、ただただ山に通った20代を支えてくれたのは、金子のこの言葉だった。たしかに、経済的な自立は辛うじてあったのかも知れない。しかし、この言葉の中に、現代社会が「引きこもり」や「ニート」と呼ばれる若い世代に押し付けたがる、いわゆる「社会性」などどこにもない。

薄汚れたクライミングコートをはおり大きなザックを背負って、山から戻るブルートレインから降り立った上野駅には、奇異な者を見る数千の通勤客の目があった。そして、このプレッシャーに押し潰され、「死んでしまいたい!。」と考えたこともなんどとなくあった。

あれから、なにも変わらぬままに30数年が経つ…!。では、わたしは、なにものかに蔑まれ虐げられなければならないのか!。

誰にだ!。

そろそろ、若い世代が「生きよう」と思える社会を再生することに、大人たちこそが真摯であるべきではないのか!。

このおさなごの未来が幸いにあふれることを祈りたい!。




「誰ですか…!?。」 
「そこにいるのは誰ですか…!?。」

「… 中原町に飴屋あり、飴屋とは――水飴なる、麦芽より作られし琥珀色の蜜を売る店たりて、乳の出でぬ時に子供に與へしなり。夜毎夜更けに顏青白き白づくめの女、水飴を一厘【※原註8 厘とは一錢の十分の一。中央に四角の穴開きし小さき圓形の銅貨。】買ひし。女の餘りに痩せ細り顏色の惡きを見て、心を留めし飴賣り頻りに聲をかけしが、女答へず。怪しからず思ひて或夜、女を追へり。女の墓場へ向かひしを、飴賣り恐ろしくなりて店に戻れり。

 翌る晩も女の現れど、水飴は買わず、たゞ手招きせり。飴賣り、友人を從へて、墓場に向かへり。女、或墓の前に來たれば掻き消えけり。地より嬰兒《みどりご》の泣く聲す。墓を掘れば、夜な夜な飴屋に通ひし女の骸の抱きしは、健やかなる赤子なりて、提燈の明かりを見て笑い出せし傍らには、水飴の碗あり。氣を失ひしまゝ埋葬されし女の、墓の中にて子を産み、其の魂が養ひし由なり――愛は死より強し。…」

ラフカディオ・ハーンが「知られざる日本の面影」に記した、松江市中原町の大雄寺に伝わる「あめを買う女」の物語である。

「そこにいるのは誰ですか…!?。」とは、つまり、この物語を執筆していたハーンが発した言葉なのだそうだ。そして、じつを言えば、これは野外体験産業研究会がある演劇人の女性を講師に、数年前に「表現する」をキーワードにおこなった、あるワークショップで耳にした言葉である。

子細は知らない。ともすると、ハーンの記した物語にヒントを得たこの知人の女性の創作であるのかもしれない。しかし、その当日、この素敵なの女性の指導のたまものなのだろうが、ハーンの役をした水浦君という若い仲間のこの台詞が、じつに心地良く耳に残るのだ。

シーンは、つまり、松江市塩見縄手のヘルン旧居に今でも残されているこの物語を執筆していた部屋の片隅に、「あめを買う女」の亡霊があらわれるのだが、これにハーンが気づいたことを表現する。女の亡霊は、ハーンが、自分のことを物語に取り上げてくれたことに感謝して、礼を言うためにでてくるのである。

これは、「能」に例えれば「夢幻能」である。「死者の世界からものを見る」という根本的な構造を持ち、亡霊という超自然的な存在が主役(シテ)であり、生身の人間である脇役(ワキ)が、彼らの話を聞き出すという構造を持っている。だけに、ともすると、おどろおどろしい不気味さが全面にですぎてしまって、ときに主題そのものを見失しなったつまらない演出などをみることがままにある。

しかし、水浦くんの「誰ですか!。そこにいるのは誰ですか…!?。」は、まるで違った!。ハーンが「(母の)愛は死より強し。」と結んだこの物語の本質を理解すれば、こうした表現しかないだろうなと思えるほどに、聴く者の耳に優しく、心地良いものを残してくれた。だけに、こうしたシーンを意識させられるときなど、水浦くんのこの言葉がよく脳裏に浮かんだ。

そして、昨夜、自らが、この言葉を口にした…!。

わたしに、いわゆるオカルト趣味はない。人知を越えた超自然的なものの存在を感じないわけではない。しかし、だからと言って、そのすべてがそのまま神や仏や魑魅魍魎の類に通じるものだなどと考えない。また、いたずらに「唯物論者」を気取るつもりもないが、いわゆる「信仰」などという概念も、正直を言えば理解し得ないのだ。

だが、親しい人の墓前には、畏敬と礼儀を持ってこうべを垂れる。これは、そうすべきが当たり前だと理解するし、自らが帰属する社会のスタンダードなルールだからである。

気配と言うべきものか!?。

だからと言って、「誰かがいる!。」と感じたわけではない。ただ、たしかに「なにものかの気配のような不確かな存在」を、自分の部屋の中に感じさせられたのだ!。

ちなみに、わたしの自室には、その本業以来の趣味もあって10帖あまりのスペースに、照明器具が五つもある。そのすべてを点けているわけではないが、どこにいても文庫本が読めるぐらいには明るいのだ。だけに、そこに見えないものなどあり得ない。にもかかわらず、たしかになにか見えない不確かなものの気配を感じさせられたのだ。

しかし、それは、おどろおどろしいものでも不気味を思わせるものでもなく、むしろ、静かに穏やかで、言葉などにならない心地良いものに満ちていた。これに、しばらく、言葉もなかったのだが…。

なんだかとても心地良く、思わず出た言葉が「誰ですか!。そこにいるのは誰ですか…!?。」だったのだ!。

これはなんだ…!?。
飛翔… 
風も光も、すべてのものがここち良い季節に、あれも、これもと、したいことが山のようにあって…。朝からばたばたしていたのだが、一休みしようと焚き火小屋の扉を開け放して仰いだ天空に、この『飛翔』があった!。

このおおらかなさまはどうだ!。まるで、どこまでも蒼い天空のそのさきの絹雲を、なにものかに見立てて、はるかな高みを、どこまでも、どこまでも飛翔するかのようだ!!。

気配…!。それともなにものかの残欠…!。はるか蒼穹のそのさきに、微かな記憶がうごめいた。

谷川岳一の倉沢の二ノ沢右壁の核心部を攀じり終えたスラブに「白根葵」の花があった。炎天下の閃緑岩の大岩壁の真っ只中の小さなクラックに、高山の強い日差しにあぶられ、葉も茎もぐちゃぐちゃによじれて、しかし、うすむらさきの美しい花が一輪、毅然を感じさせて咲いていた。

ソロだった。『岩と雪』の編集部から執筆の依頼があったオリジナルな「単独登攀時の安全確保技術」が、二ノ沢右壁のようなスラブ主体のルートで通用するかどうかを試してみたかったのだ。

「単独登攀」とは、原則的に「フリー・ソロ」だ。それが出来ないレベルのスキルしかないならするべきことではない。しかし、ボルトやハーケンにどうしても頼らざるしかなく、いやでも人工登攀を強いられるピッチなどで、ただただ「神のみぞ知る」に委ねるのも馬鹿げたことだ。だけに、こうしたシーンでの安全確保のための「単独登攀時の安全確保技術」が幾通りか開発されている。だが、その大半が、いわゆる「Z(ゼット)ピッチ」などと呼ばれるように、ロープをフィックスしつつ攀じり、登攀終了点も固定して、さらに、これを下降して再び登り直すという面倒なものでしかなかった。

取り立てて新しい技術の開発などを意識していたわけではない。だが、ふとしたことから閃くことがあって、そうした複雑なことを全くしないで済むオリジナルな「単独登攀時の安全確保技術」を見出したのだ。

「気品」と言うべきか!。それとも「高貴」と言うべきか!。そうしたものを感じさせる一輪の花を前に動けなかった。しかし、ここで確保用の支点をとらなければ、その先のスラブに残置ハーケンも無ければクラックも無い。「けがす!」とは、こう言うことかと感じつつこの花を手折り、ショイナードのチョックをセットして、次のスラブに入ったところで「クウ」と鳥の声を聴いた。

目が合ったと思えた刹那、その鳥が翔んだ!。

そして、一直線に飛翔するその姿が、はるかな蒼穹に点景となるころに、足元に、言葉などにしようのないほど不快な音が響くのを聞いた。

それだけのことだ!。

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