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Thinpad240z+Debianに「Pyroom」が入った!。  
もう、最高だ!。

やっと、思いどおりになった。昨年末から、想い描いていたささやかな夢が叶ったと思えるほどに心地良い!。

Thinkpad240z にminimal install したDebianの上で、どうしても動かしたかった editorがあったのだ。Macの「WriterRoom」という、じつに美しいeditorのデザインコンセプトを元に、pythonで書かれた writeingアプリなのだ。昨年の秋ごろ、その存在を知って、自作したディスクトップパソコンにインストールしたUbuntuの上で使ってみた。そして、じつにMac譲りの美しさと、その快適なユーザービリティーに感動していたのだ。

そして、出来れば、これをメインの Thinkpad240zの上で使いたかったのだ。だが、残念ながら、そのスペックが低すぎてこれが思いどおりにならないでいた。ThinkpadにインストールしてあるDebianでは、このアプリが依存関係にあるpythonなどのパッケージがインストール出来ずに、なす術もなく悶えていたのだ。

結局、そのために知るべきことの理解に、気付いてみれば2ヶ月ほども懸かってしまったことになる。しかし、上出来だ!いや、まったく最高の気分だ!。

じつは、Ubuntuなら、このアプリにはUbuntu用のdebパッケージがある。だから、GDeb Packageインストーラが使えて、たやすくインストール出来たし、共存関係なども、昨年ぐらいのバージョンならUbuntu8・4でもまったく問題がないと思う。

だが、Ubuntuは、それ自体がThinkpad240zレベルに使うには重すぎる上に不安定な要素が多すぎてまともに動かないし、とても使う気になどなれないのだ。だけに、安定性抜群の上に、アプリの並列機動まで可能なほどにカスタマイズが容易なDebianがお気に入りなのだ。

しかし、提供するアプリは徹底的にチェックされ、その安定性こそをもっとも重視するDebianである。Pyroomのような比較的に新しいアプリなど、そのリストにも入らないし、共存関係の課題を解消しながらこれをインストールするなど至難の技である。

つまり、これを理解するに2ヶ月も懸かってしまったのだ。だが、嬉しいことに上手くいった!。

見てくれ!この徹底的にシンプルに美しいインターフェースを…!!。

最終的に選択したことは、Debianのsqueezをminimal installしたことだ。そして、ウインドウマネージャーも、軽く動くタイリング型の「Ion2」を選んだ。また、その他のアプリも、[top]や [pstree]のコマンドを実行しつつ、原則的にCliベースに動くものを選択して…。

ともあれ、Debian+Ion2に補助的に Openboxをいれて、Vim+ScreenがWritingの常用環境。これに音楽はAlsa+mocで楽しんで、メールはGmail+mtuuを使う。つまり、GUIなアプリを出きるだけ避けることで、Thinkpad240zがビンビンに動く心地良くて、じつに美しい環境を手に入れることが出来たのだ!。

しかし、あまりの嬉しさに、人間、願えば「叶わない夢などない」のじゃないかと思えてくる!



distractionless fullscreen text editor

PyRoom is a free editor that stays out your way - and keeps other things out of your way, too. As a fullscreen editor without buttons, widgets, formatting options, menus and with only the minimum of required dialog windows, it doesn't have any distractions and lets you focus on writing and only writing.







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独学する自由とオープンソースという思想と… 

「…簡単に説明すればですよ!一般的なLinuxの起動シーケンスは、電源投入からBIOSがMBRに書き込まれたブートローダーをメモリにロードする。つぎにGRUBがカーネルとイニシャルRAMディスクをメモリにロードする。カーネルは、自身の初期化シーケンスを実行し、メモリにロードされているinitrdをマウントする。

さらにカーネルは、initrdを利用してルートファイルシステムをマウントする。また、カーネルは自身の初期化の最終段階で1番目のユーザープロセスであるinitを生成こともする。で、initは、起動すると/etc/inittabを読む。 /etc/inittabにはシステムのランレベルと、initが起動するプログラムが記述されていて…。つまり、initは、/etc/inittab に指定されているrcスクリプトである /etc/rc.sysinit、/etc/rcを実行する。…」

「…まあ、実際には、すこし違うプロセスもあるし…。だけど、大雑把に言えば、そんな感じなんですけど…。私の言うことが解りますか!?。解らないでしょう!。…」

「… 解らなくて当然ですよ!私だって、ここまでを理解するのに5年もかかっているし、たとえば、これまでに読んできた図書代を大雑把に考えても、軽く10万にはなるでしょう。…だからして、そんなことを、いきなり教えろって言われたって出来るわけないですよ!。で、だから、あなたがそのThinkpadを本当に直したくて、 Windowsの代わりにLinuxを使いたいなら独学しなさいって言ってんです。…」

一言もなかった!。

どころか、こいつはそうとうに傲慢な嫌な奴か…。もしくは、本当に正直な輩かも知れないという思いの狭間に揺らいでいた。

確かに、なにごとかを解するに、そのなにごとかを順を追って並べることができて、そのすべてを見えるかたちに学ぶなら、「教えてもらうこと」はあながち難しいことではないのかも知れない。だが、「見ることができないもの」を…。しかも、それには複合的なプロセスや、さまざまなパターンがあるようなことがらを理解するに、「教えてもらう」など、教える側に相当にその知識や指導力があったとしても、じつにこれは難しい。

安易に「教えてくれませんか!」と口にしたことを恥じた!。そして、同時に憤懣やるかたない思いにも似たものに脳裏が痺れるような感覚にも襲われた!。

「…ともあれ、あなたが本気なら、帰ったらThinkpadに電源を入れて、モニターにIBMのロゴが出たところで、F1かF12か、もしくはDeleteキーを叩きつづけなさい。その先に何があるか…! いまのあなたに、私が教えられることはそれだけです!。…」

三年ほど前になる。出雲市内のある喫茶店でお会いした人物に、Linuxについて…。いや、コンピューターについて、わたしがこれまでにただ一度だけ「教えていただいた」ときのことである。

現在も愛用するThinkpad240を手にしてから、そろそろ十年ほどになる。だが、コンピューターについて、わたしが、当時理解していたことはこのレベルだったのだ。だけに、彼の言った、F1かF12か、もしくはDeleteキーを叩くに、わたしは、壊す、壊れるというレベルではなくて、壊しても「殺されることはない!」ぐらいの緊張の中に叩いたのだ。

ちなみに、わたしはながくクライミングという相当に危険な遊びを楽しんできた。だけに、冒険することがあながち嫌いではない。にもかかわらず、この時の緊張を表現するに適当な言葉を見出せない!。なぜなら、数年を使ってきたとは言え、 Thinkpadは、購入時の金額が30万を越えたのだから…。

そして、そのキーを叩いたその後を言えば、しばらくのあいだ、ただただ、混乱と懸命との最中を漂いつづけた気がする。よく理解して、当たり前に扱うレベルに「コンピューターは断じて壊れない」と確信を持てるようになったのは、じつに最近のことなのだ。

そして、感謝とともに思う。三年前に、理路整然と「教えないこと」を断言し、独学することを進めてくれた彼に出会うことがなかったなら、じつに今の自分の理解はありえないと…!。

考えてみれば、わたしはじつにさまざまなことをする。クライミング、ナイフメーキング、金属から竹や木までを素材にするクラフトの類などなど。だが、これらについて考えても、じつはここでも、わたしに師匠はいない。

「独学する」などという言葉は意識しなかったが、気が付けば、「…したいから! 。こんなのが…、欲しい!。」のさきに、すべてを自分で考え、思いつくままに手に入れてきた。つまり、かたちあるものも、いわゆる技術などということもだ。

これを振り返えれば、じつは、わたしは常にマイペースにいたのかも知れない。考えれば、「教える者」がいない環境に「なにかを学ぶ」のだから、当然なことなのだろう。

飽きたら止める!。感心が戻れば、ときに寝食を忘れてのめり込む。しかも、そのスタンスは、いつでも興味を呼ぶ「好きなところから」なのだ。襟を正して誰かに「学ぶ」なら、じつにふざけた立ち位置であるのかも知れない。しかし、わたしの「生きる」は、わたし自身のものである。

だけに、これで良いのだ!。

言うなれば、独学するとは一人遊びにもにた優位にあるのかも知れない!。

「終わる」こと「完成する」ことなどに捉われず、常に「ベストに向かう未完成な状況」とでも言えば良いのだろうか。

じつに、わたしのThinkpadがそうなのだ!。当たり前の社会認知から言えば、十年も前の塵にもちかいノートパソコンが、まさに日を追うごとに進化するのだ。

Linuxという自由と、オープンソースというコンヴィヴィアルな思想に支えられて…。

ともあれ、件の知人との久しぶりの電話のやりとりに、そんなことを考えたのだ!。



DarkCopy 
集中して文章を書く。これにプラスして、Web に常時接続が可能な人なら、多機能が売りなだけのつまらないwritingソフトをダウンロードする必要などない時代になったようだ。

写真は、最近見つけた「DarkCopy」と言うオンラインの text editorだ。言うまでもなく、Web上のページがsimpleで美しいeditorになっていて、ここでプレーンなテキストのwritingのすべてが可能なのだ。

残念ながら、TxetRoom や Pyroom のようにオフラインでは使えない。しかし、モニターの小さなノートパソコンなどで、例えば、Linux の仮想ディスクトップのような機能を持たないOSを使う人が、Webを検索しながら writing をするなどといった状況などには、むしろこちらの方が便利なのかも知れない。つまり、ブラウザのタブ機能を効率よく使うことで、すべての作業をWeb上で行うことが可能になるからだ。

この辺りは、ブラウザとローカルにインストールされたソフトを切り替えながら使う煩雑さに比べて大きなメリットであると言えるだろう。とりわけ、画面上のボタンをクリックすることで ブラウザの画面一杯に full-screen になるのだが、そのインターフェースはじつに洗練されて美しい。

だが、GoogleのDocsなどのように、データーをWeb上に保存することは出きないし、writing中の自動保存もしない。しかし、当然「Ctrl+s」のキー操作で、ローカルなマシンにサーブすることは可能だ。ちなみに保存形式は、プレーンなテキストとHTMLのどちらでも選択できるようだ。

キーバインドも、別段、特殊なことはなく、当たり前のテキストeditorのそれでしかない。マウスも当たり前に使えるし、ショットカットキーなども標準的な editor のそれと同じである。つまり、ふだん、パソコンを使ってメールなどを書く人であれば、まったく悩むことなく使えるということだ。

ちなみに「Ctrl+o」で、ローカルなフォルダーのファイルを呼び出すことが可能だ。そして、さきにも記したように「Ctrl+s」でも保存が出きるのだが、ここでこの手のソフトに慣れない人は、すこし戸惑うことがあるかもしれない。なぜなら「Ctrl+s」をすると、デフォルトでは、HTML形式でWeb上のページをダウンロードして保存することになるのだ。つまり、保存したいファイルの他に、ページの設定ファイルなどが自動でフォルダーを作ってダウンロードされることになる。結果、ハードディスクに要らないゴミが増えることになる。

ちなみに、シンプルにテキストデーターだけを保存をするには画面上のサーブボタンをクリックすればよい。

ともあれ、これはじつに秀逸な text editorだ。書くことに徹して、機能はシンプルに…。そして、そのインターフェース・デザインは、この手の editor のベースとなったマックの「WriteRoom」そのままに美しい。また、オンラインソフトでありながら、Google や Zoho などのそれらのように、いわゆる登録や認証などの煩雑なことも一切ない。

使いたければ、ユーザーは「 http://darkcopy.com/ 」をクリックするだけで済むのだ。






Thinkpad240z+debian install 電源の問題など 
嬉しいことに、わたしの拙い Linux 関係の記事を読んでくれている方が何人か居られるようだ。ここ数日、わたしのブログの検索キーワードに、今日のタイトルにした Thinkpad、debian minimumi install、電源管理などの文字列が並んでいるのだ。

これに嬉しくもあったが、同時に「これは、あまり無責任なことも書けない!」と感じて、これまでに書いた Linux の記事を何度か読み返してみたのだが、じつに、当然「触れるべき重量なこと」を記していないことに気がついた。つまり、「電源がシャットダウンしない問題」だ。

ちなみに、これは debian を minimumi install するから起こることではないようだ。じつは、最近のLinuxディストリビューションでは、Thinkpad240 などの古いマシンの電源管理がデフォルトでは設定されていないのだ。つまり、これは debian に限らず、他のディストリビューションでも発生することであるらしい。UNetbootin による Ubuntu の install でも同じことが起きたのだが、これはACPIに対応していない古いAPMのみのPCに発生する現象であるようだ。

しかし、対策としては( /Boot/grub/menu.lst )と、( /etc/modules )の2つのファイルに下記を追加すれば良い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

#/etc/modules ファイル

apm power_off=1

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

#/boot/grub/menu.lst ファイル

## ## End Default Options ##

title Debian GNU/Linux, kernel 2.6.18-3-k7
root (hd0,1)
kernel /boot/vmlinuz-2.6.18-3-k7 root=/dev/hda2 ro acpi=off apm=power_off
initrd /boot/initrd.img-2.6.18-3-k7

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

※参考になったページ。( http://ubuntuforums.org/showthread.php?t=359190 )



ratpoisonを使おうと… 
Thinkpad240というノートパソコンを手に入れてから10年ほどになる。そして、その10年を振り返ってみれば、これは、いまや日々の暮らしに使う食器やはしの類に次ぐぐらいに、わたしの日常に不可欠なツールなのだ。

しかし、手に入れてから、けして何もしなかったわけではない。まず、はじめに、購入時にバンドルされていた「Windows 98」が起動しなくなった。つまり、Thinkpad 本体に問題はないのだが、なんらかの理由で起動ファイルが壊れ、Windows が立ち上がらない状況になったのだ。

これをシステムエンジニアを仕事にしている友人に相談したら、「五千円ぐらいでなら、誰かに売ってやる!。」と言う。

じつは、 Thinkpad240系は、機械的に回転する部分がハードディスクだけのワン・スピンドルマシンなのだ。厳密に言えば、これにCPUの冷却ファンが加わるのだが、CDプレーヤーはおろか、いわゆるフロッピーディスクのプレーヤーまでが外付けだ。

つまり、そうした選択をすることで、当時としては圧倒的に薄くて軽いB5サイズのデザインを可能にしていた。そして、そのデザインが気に入って手に入れたのだが、自らの使い方が基本的にテキストベースだったし、それ以外にはときどきメールをするぐらいだったので、本来、大切にしておかなければならなかった周辺機器が見当たらなくなっていた。

だけに、OS のリカバリーが出来なくなっていたマシンを処分しても、常識的なレベルでは、せいぜい五千円ぐらいが相場だと、友人は言うのだ。

これが、腑に落ちなかった!。

いわゆるパーソナルコンピューターレベルのそれを弄ったことがあるわけではない。しかし、重工業系の自動制御にも、すでに工業用のコンピューターはあったし、その制御に人為的なミスによるトラブルに対応するプログラムなど、まずはじめに用意されるべきものである。意識される作業の生産性と、それに関わるリスクマネージメントを考えれば、それは当然のことだろう。

こうした認識をもつ者に、ソフト的なトラブルがそのままハードウェアーの廃棄につながるなど、理解できないどころか、とんでもないことだ。しかし、Windows マシンのシステムに永く関わってきた友人は、頑としてこれを譲らない。

友人関係まで壊すことなど馬鹿げたことだし、とりあえず、ここでは折れて自分でなんとかすることにした。

結局、一年ほどを独学しただけで、ネットも使えずCDプレーヤーもないノートパソコンに、Windows をインストールすることが出来てしまった。なんどか繰り替えしたみた Windows のインストールのプロセスに論理的に奇妙な状況を感じたことがキッカケだったのだが、気付いてみれば馬鹿げていると思えるほどに簡単だった。

そして、そこに感じた不快なものを理由に Windows を捨てる気になった。まあ、原則的にテキストしか使わないし、 Windowsでなければならない理由も無かったからだ。

その後に、「Linux」を二年ほど学んだろうか。とは言え、誰かに教えてもらえる環境があるわけではない者が、独学出きるレベルのことと言えば、インターネットでLinuxに関するサイトを徹底的にのぞくことぐらいだ。また、何冊かの雑誌を用語集を片手に読みふけるぐらいだろう。

しかし、結果的に、Linux ならではの独自のシステムや、その理論について。また、それらを支える「産業主義的な価値観を否定する思想」などにも感銘を受けつつ、テキスト中心に使うには不都合がないレベルぐらいまでを理解することが出来たと思っている。

そして、同時に、ネットオークションなどで手に入れたパーツに、さまざまな部分を交換したThinkpad240は、その処理能力も手に入れた当時のレベルよりは少しマシになったと思う。また、Linux に特化したカスタマイズや、自分の手にあったソフトを選択したことで、ずいぶん使いやすく進化もした。

いや、「進化した!」のではないのかも知れない。言うなれば、Linux というシステムに独自のソフトウェアーの許容量の問題である。自在と言えばオーバーに聞こえるかも知れない。しかし、じつに、自在と言いたくなるほどに「こんなことが出来たら…!。」が可能なのだ!。

写真は、「ratpoison」というウインドウマネージャーのマークなのだが、(と書けば、Linuxについての予備知識が無い方には、少なからぬ混乱をよぶかもしれないが…。)この過激な名前のそれは、その名の通りに「マウス」を使うことを徹底的に嫌ったウインドウマネージャーなのだ。

そして、ともすると却ってその混乱を大きくするかも知れない危険を顧みずに、あえて例えて見れば、わたしの現在のThinkpadは、古い車を、フレームとエンジンだけになるまで分解して、Debianと言うボディーに載せ替えてあると言えば良いのかも知れない。そして、その運転席まわりを、この「ratpoison」というデザインを中心に、ステアリングやシート、シフトノブなどのすべてを自分の好むものに替えてあるのだ。

また、車のチューニングで言えば、エンジンの出力に合わせて徹底的に軽量化を図るように、 debian自体も minimal installをして、出来る限りCPUやメモリーなどの負担を小さくした。つまり、Linuxでは、ネット環境に学べるレベルをのぞくだけで、そうしたことがじつに自由自在にカスタマイズが可能なのだ!。

パーソナルコンピューターの世界は、そのはじめをWindowsに委ねてしまったために、現況としては家電製品に近い状況にありながら、どうにも、パーソナルなレベルで使うことが出来にくい社会システムの中にある。科学とは、本来的に特定の個人や団体の利益に帰するものではなくて、すべての人類に共有されるべき財産であるはずだ。そして、そうした認識にたてば、やはり現状はおかしいと考えるべきだと思うのだ。しかも、それが「出来ない!」ということならいざ知らず、正確には、まるで「許されない!」かのような状況にあるようだ。

Thinkpad240z の補修用のパーツをネットに探していた頃に、驚くべき状況がずいぶんあった。30万円ほどするこのマシンを購入して半年足らずでトラブルが起きて、メーカーに問い合わせれば、ローンが始まったばかりだと言うのに「無料保証」外のマザーボードの交換を示唆され、10万ほどもかかりそうだと言われて、そのまま押入れに10年を寝かせてあったというマシンがあった。

ちなみに、これは、わずか五本ほどのビスを開け閉めして修理が出来た。つまり、パーツの交換など必要なかったのだ。

なぜ、こうした状況が起きたのだろうか!?。

理由は、一つしか無いはずだ!。指定されたビス以外を緩めるだけで、「無料保証が効かなくなる」と言う、他のものでは考えられないメーカーが独自に規定したルールによるのだ!。つまり、ユーザーは、高額なお金を支払って手に入れたはずの自分のマシンのメンテナンスを「自らすることが許されない!」のだ。

これは、とてもおかしなことだと思えるのだが…!?。

ともあれ、現在、Linuxのユーザーは世界中のシェアーを考えても、未だ1パーセントに満たないそうだ。しかし、わたしレベルの環境に独学した程度でも、その使用にまったくストレスなど感じないし、そのカスタマイズ次第で、10年以上も自分のマシンを使いつづけることが可能である状況を意識してみれば、そろそろ社会全体が、この素晴らしいLinuxの世界に、真摯に目を向けるべきだと思えるのだ。

しかし、わたしぐらいのレベルで「ratpoison」に手を出そうとするのは無謀のそしりを免れまいが…!。




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