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「静的な状況」の中のそれと…  
スタティックな…!。つまり「静的な状況」の中のそれと「ある動きの中のもの」と、いわゆるバランス感覚とは、それぞれ別に二通りのパターンがあるようだ。

例えば、クライミングなど、ロジカルな「体重の移動」をつよく意識する動きの中のそれは「スタテックなクライミング…!」などと表現するぐらいだから、文字通りに「静的な状況」のものだろう。一方に、「動的なバランス感覚」の必要なスポーツを数え上げればキリがない。だが、自身の体験したものだけに例をとれば、スキーやサーフィンなどと言うことになる。

この二つのバランス感覚の存在に気づいた…!。と言うよりも、じつは、自分は「動的なバランス感覚」がスタッテックなそれに比べて、親しい知人が「異常だよ!」と言うレベルに低いのだと気づいたのは、最近のことである。

そして同時に、この二つのバランス感覚の違いは、さきにその例をあげたスポーツなどに止まらず、例えば「文字を書く」ことやカメラやビデオ機器などで「動くものを撮る」ときなども、同じ状況にあるのかも知れないと感じている。

もっとも、これはあくまでも、わたしの個人的な状況であるのかも知れないが…。

「文字を書く」ことがまるでダメなのだ!。これが、いわゆる「悪筆」などと言うレベルではない!。メモしたものが後で自分が読めないほどに汚すぎて、ときどき仲間内の笑い話になってしまうぐらいなのだ。

にもかかわらず、いわゆる「無呼吸な状態」でのナイフ遣いなどにはそれなりに自信がある。当然、彫刻的なものを作るには、他にまったく別なセンスが要求されることだから、それですべてが決まるわけではないのだろうが…。

写真は、ジッポーのライターである。しかし、ここでライターを見て欲しいわけではない。じつは、見てほしいのは、そのケースなのだ!。

そうだ、ケースなのだ!。つまり、これはジッポーの本体に、いわゆる「銘木」を薄くスライスして接着剤などを使って「張り付けてあるのではない!」のだ!。

ジッポーを愛用する者には、よく知られたことだが、このシンプルで便利なライターの最大の弱点は、そのヒンジにある。しかし、それは設計ミスなどによるものではなくて、素材や機能の必然とも言うべき経年変化に由来する。そして、そのヒンジが壊れれば、このボディーに美しく高価な銘木などを接着剤などで直に張り付けてしまえば、それがどんなに美しくて大事にしたくても、大半がそれで終わりなのである。

写真のそれは、このことを意識してジッポー本体の「差し替えが効く」ようにケースに仕立ててあるのだ。

ちなみに、これは、わたしのカスタムナイフメーキングの「弟子」とも言うべき若い知人の作品である。そして、これはもう、クラフトごとに少し覚えがあるぐらいでは、おいそれと「自分も作ってみよう!。」などと考えられるレベルにはない。

どこが…!?。と聞いたら、「呼吸が出来なかったす!!。」と返ってきた!。

材料は、ナイフ用の鋼材のステンレスと二種類の銘木の組み合わせである。つまり、三種類の素材の硬度がそれぞれ違い、作業中に発生する熱による歪みもそれぞれに違うのである。これを読みながらカットして組み立てている。

言葉にすれば、これだけのことである。だが、これは、それぞれの素材のカットや研磨に電動工具などが使えないことを意味している。つまり、作業のすべてがフリーハンドで、それぞれのプロセスは「無呼吸」にならざるを得ないレベルに集中すると言うことだ。

そして、ここでの彼の悩みと、その対策が「静的な状況」でのバランス感覚の存在に気づくことにあったのだ!。

彼の冬の休日の大半は「大山通い」である。つまりスキーをするために…!。昨年は、北海道にも2度ほど出かけたはずだ。また、それ以外のシーズンの大半は、仲間たちとバスケットボールに興じているようだ。

つまり、彼は、スポーツマンであり、抜群の運動神経の持ち主である。その彼が、このレベルの作業の中では、はじめにどうしても手引き鋸やヤスリなどが十分に使えなかった。また、1ミリ厚程度の、わずか数センチ角の板材の研磨が、自由にならなかったのだ。後ろに立ってその作業を見ていると、いつも大きな体が揺らいでいた。

これに、アドバイスしたことは「息をするな!。」だった。

つまり、集中するときには「呼吸をするな!。」と言うことだ!。

なぜなら、手引き鋸や彫刻刀を使うような作業に必要なバランス感覚とは、一瞬のシャッターチャンスを狙うそれにもにて、ストイックなまでにスタティックなものだからである。


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「静的な状況」の中のそれと… 
スタティックな…!。つまり「静的な状況」の中のそれと「ある動きの中のもの」と、いわゆるバランス感覚とは、それぞれ別に二通りのパターンがあるようだ。

例えば、クライミングなど、ロジカルな「体重の移動」をつよく意識する動きの中のそれは「スタテックなクライミング…!」などと表現するぐらいだから、文字通りに「静的な状況」のものだろう。一方に、「動的なバランス感覚」の必要なスポーツを数え上げればキリがない。だが、自身の体験したものだけに例をとれば、スキーやサーフィンなどと言うことになる。

この二つのバランス感覚の存在に気づいた…!。と言うよりも、じつは、自分は「動的なバランス感覚」がスタッテックなそれに比べて、親しい知人が「異常だよ!」と言うレベルに低いのだと気づいたのは、最近のことである。

そして同時に、この二つのバランス感覚の違いは、さきにその例をあげたスポーツなどに止まらず、例えば「文字を書く」ことやカメラやビデオ機器などで「動くものを撮る」ときなども、同じ状況にあるのかも知れないと感じている。

もっとも、これはあくまでも、わたしの個人的な状況であるのかも知れないが…。

「文字を書く」ことがまるでダメなのだ!。これが、いわゆる「悪筆」などと言うレベルではない!。メモしたものが後で自分が読めないほどに汚すぎて、ときどき仲間内の笑い話になってしまうぐらいなのだ。

にもかかわらず、いわゆる「無呼吸な状態」でのナイフ遣いなどにはそれなりに自信がある。当然、彫刻的なものを作るには、他にまったく別なセンスが要求されることだから、それですべてが決まるわけではないのだろうが…。

写真は、ジッポーのライターである。しかし、ここでライターを見て欲しいわけではない。じつは、見てほしいのは、そのケースなのだ!。

そうだ、ケースなのだ!。つまり、これはジッポーの本体に、いわゆる「銘木」を薄くスライスして接着剤などを使って「張り付けてあるのではない!」のだ!。

ジッポーを愛用する者には、よく知られたことだが、このシンプルで便利なライターの最大の弱点は、そのヒンジにある。しかし、それは設計ミスなどによるものではなくて、素材や機能の必然とも言うべき経年変化に由来する。そして、そのヒンジが壊れれば、このボディーに美しく高価な銘木などを接着剤などで直に張り付けてしまえば、それがどんなに美しくて大事にしたくても、大半がそれで終わりなのである。

写真のそれは、このことを意識してジッポー本体の「差し替えが効く」ようにケースに仕立ててあるのだ。

ちなみに、これは、わたしのカスタムナイフメーキングの「弟子」とも言うべき若い知人の作品である。そして、これはもう、クラフトごとに少し覚えがあるぐらいでは、おいそれと「自分も作ってみよう!。」などと考えられるレベルにはない。

どこが…!?。と聞いたら、「呼吸が出来なかったす!!。」と返ってきた!。

材料は、ナイフ用の鋼材のステンレスと二種類の銘木の組み合わせである。つまり、三種類の素材の硬度がそれぞれ違い、作業中に発生する熱による歪みもそれぞれに違うのである。これを読みながらカットして組み立てている。

言葉にすれば、これだけのことである。だが、これは、それぞれの素材のカットや研磨に電動工具などが使えないことを意味している。つまり、作業のすべてがフリーハンドで、それぞれのプロセスは「無呼吸」にならざるを得ないレベルに集中すると言うことだ。

そして、ここでの彼の悩みと、その対策が「静的な状況」でのバランス感覚の存在に気づくことにあったのだ!。

彼の冬の休日の大半は「大山通い」である。つまりスキーをするために…!。昨年は、北海道にも2度ほど出かけたはずだ。また、それ以外のシーズンの大半は、仲間たちとバスケットボールに興じているようだ。

つまり、彼は、スポーツマンであり、抜群の運動神経の持ち主である。その彼が、このレベルの作業の中では、はじめにどうしても手引き鋸やヤスリなどが十分に使えなかった。また、1ミリ厚程度の、わずか数センチ角の板材の研磨が、自由にならなかったのだ。後ろに立ってその作業を見ていると、いつも大きな体が揺らいでいた。

これに、アドバイスしたことは「息をするな!。」だった。

つまり、集中するときには「呼吸をするな!。」と言うことだ!。

なぜなら、手引き鋸や彫刻刀を使うような作業に必要なバランス感覚とは、一瞬のシャッターチャンスを狙うそれにもにて、ストイックなまでにスタティックなものだからである。

『ワシリー・チェア』 
『ワシリー・チェア』と呼ばれる名作だ!。

作者の「マルセル・ブロイヤー」は、1902年、ハンガリーに生まれ、1920年代、バウハウスで学び、のちに同校のマイスターも努めた、モジュール構造と単一形態の重要性を提示したモダニズムの父のひとりだ。建築家であり、家具デザイナーでもある。

そのブロイヤーのもっとも知られている作品が、この『ワシリー・チェア』だろう。この椅子は、モンドリアンなどとともに抽象絵画の先駆者として著名な「ワシリー・カンディンスキー」の為にデザインされたのだそうだ。だが、一方に、当時、このデザインがあまりにも前衛的にすぎて、唯一人、カンディンスキーだけが、その芸術性を解したので彼の名前を冠するに至ったという説も伝えられるのだが、その真意のほどは解らない。

ともあれ、第一次世界大戦に敗戦国となったドイツに、「戦争に負けたドイツは多くのモノを失ったが、その文化までが失われたわけではない!。」とヴァルター・グロビウスらによって立ち上げられた、いわゆる「バウハウス運動」の初期に生まれた傑作であると言っても過言ではないだろう。

しかし、わたしは、ブロイヤーやカンディンスキー、またはグロビウスや「バウハウス運動」など、この椅子に関わる由来やその文化について、ここに記そうなどと考えているわけではない。当然、そうしたことが可能なほどの十分な知識もないし、ましてや、中途半端なそれをひけらかすことがどれほどおろかな行為であるかも十分に理解している。

ただ、はじめて出会ってからおよそ三十年のあいだに、わたしがこの椅子になにを感じ、その理解したものが、自らの人生にどのように関わってきたのかを、現在の自分が理解する論理の中に、整理しておきたいと考えるのだ。

わたしは、子どもたちの育ちに関わる「しまね自然の学校」という体験教育事業体をながく主催してきた。また、「野外体験産業研究会」という、島根県から委嘱を受けて立ち上げた地域振興に関わる団体の代表という立場にもいる。

そして、そのポジションについて考えるとき、わたしは「最終的な選択を提言する者」と言う言葉をいつも思う。また、その「提言する」立場にある者は、その提言に、なにを軌範とをしているのかを明確にする義務があるとも考える。

つまり、自らのこうした認識のさきに、ここに「マルセル・ブロイヤー」の『ワシリー・チェア』との関わりに理解してきたものを、整理しておく意味があると解するのだ。

「提言する」立場にあるとき、わたしがつよく意識することは「類推する」ということだ。ちなみに、これは、簡単に「比較する」こととは、少し違うと考えている。

《 徹底的に、ときに対極にあるものも含め類するものをすべて集めて推し量る!。》

例えば、ここ上津に新しい地域振興の可能性を意識して、焚き火小屋のデザインを決定してきたプロセスを思い返してみる。たぶん、こうした状況での大半の事例が、似たような地域の調査と、その調査に見出したものと「同じことが、ここでも出来るか!?。」に終始するのが常のようだ。

だが、この議論には(議論があればの話だが…)、本来的にもっとも大切にされるべきものが抜けている。それは、「上津は(世界中を探しても…)ここにしか無いという事実を、関わる者すべてが共有するレベルで認識する」ことである。しかし、そうした議論の席で、これについて説明しても大半の場合、理解されないどころか「なにを大風呂敷を…!」と受け止められることも、また常であるようだ。

バウハウス(Bauhaus)は、1919年、ドイツ・ヴァイマル(ワイマール)に設立された。たしかに、ここは神聖ローマ帝国時代からの歴史ある町である。だが、しかし、その歴史や地理的なことを、島根の出雲という文化に比較して考えてみれば、ワイマールに意識できたことを出雲の上津に考えることが、なぜ「大風呂敷を…!」になってしまうのだろうか。

『ワシリー・チェア』にはじめて出会ったとき、じつは、それほど感動したわけではなかった。考えれば、これは当たり前のことだ。デザインや美術について正規に学んだわけでもない20代の若造に、これに感動できるほどの知識などあるわけもないからだ。ただ、「美しい緊張」とでも言うべきシンプルなフォルムと、その単純な構成に基づくデザインにつよい関心を持ったのだ。

当然、これがその当時、すでに50年も前のデザインであるなどと理解したわけでもなかった。しかし、20代の半ばに、自らの人生にそろそろ明確な方向性を意識しなければならないと考えはじめていた時期に、このデザインに出会えたことは幸福なことであった。

しかし、この椅子の素材が、当時、自分が手にしにくかったスチールと牛革だったことから、一度、この椅子からはなれた。だが、そのデザインのベースをなす「線と面による構成」を意識して、そのオマージュとも言うべきデザインを考えることは常にあたまにあった。

そして、のちに考えれば必然なのだが、見出したものは、バウハウス時代以前のマルセル・ブロイヤーに強い影響を与えたオランダ人「ヘリット・トーマス・リートフェルト」の『レッドアンドブルー』という名作だった。そして、これは、うれしいことに合板と細い角材という扱いやすい素材に「線と面による構成」がなされたデザインだったのだ。

これを模倣した。そして、この模倣のさきに、いま一度『ワシリー・チェア』が見えてきたのだ。そのデザインを生み、これを支えた当時のドイツの思想も含めてである。

第一次世界大戦に敗戦国となったドイツに、文化までが失われたわけではないと「バウハウス」を立ち上げたヴァルター・グロビウスの思想を、すこしではあるが解した気がしたのだ。また、敗戦後の混沌の中に、無理することなく手に入れられる水道工事用のパイプや、それまで家具などにその価値があまり意識されていなかった「牛革」に着眼する「マルセル・ブロイヤー」の既成概念に縛られない柔軟な発想も…。

見直してみれば、『ワシリー・チェア』のデザインの凄さは「線と面による構成」レベルに止まらなかった。のちにブロイヤーは「モジュール構造と単一形態の重要性を提示したモダニズムの父のひとり。」と言われるのだが、まったく、徹底的に不要なものが削がれた単純な構成の中に、欧米に「マスターズチェアー」といわれた、ある意味「家族の中心に究極の椅子」に求められる、すべてが込められていた。

つまり、この『ワシリー・チェア』にかかわる体験に理解したものが、わたしが「提言する」立場にいるとき、いつも意識されるのだ。

焚き火小屋のデザインやその運営のノウハウの理解のために、わたしが大勢の仲間たちに提言したことは、スイス、フランス、イタリアでの少し贅沢なリゾート体験やアグリツーリズムの現地理解と、ノルウェー、フィンランド、スウェーデンでの文化や社会環境の理解のための研修であった。

そして、2年をかけて、延べ9名の若いメンバーが参加したこの研修事業の結果は、彼らの、焚き火小屋のデザインやその認識の有り様の理解に止まらない。しまね自然の学校のスタッフとして参加した者は、その後にそのシステム全体の運営の中心的存在を担っている。彼らは、世界にただ一ヶ所しかない上津という場所を、もっともベストなものに「類推する」ことを、その究極の対極ともいうべきヨーロッパを体験したことで理解したのだ。

これらのすべてが、この椅子に出会ったからだと言うつもりはない。若い時代にライフワークとしてきたクライミングのために、幾度かの海外体験をしてきたことも、当然、意味するものがあったのだろう。だが、それと平行する時期に、この椅子に出会い理解したことに学んだことは、やはり大きい。

ともあれ、それが芸術的な行為などであれ、また、地域づくりや子どもたちの育ちの支援のように形而上学的なというべきものであれ、ただ、いたずらに「そのもの自体を解析する」だけでは大きな意味をなさないだろう。必要なことは、まず「自分は誰か!」と言うことの理解だろう。そして、つぎは、「自分は、なにを持つのか!」を知ることだ!。

つまり、なにものかに「類推して」だ!。

わたしはこの認識を、この『ワシリー・チェア』に学んだと信じている。



豊かな暮らしのために… 
「… いまや世をあげてのインターネット大ブーム。…いまのブームに危険なものを感じている。このままでは、人と人の交流が薄まり、現実への関心がなくなって、社会の大切な部分が失われてしまう。インターネットは、理想の楽園という幻想で満たされた、からっぽの洞窟なのだ…。「そんな馬鹿な!」と思う人は、まずはページを開いてみてほしい。…」

表紙のカバーにあったこの文章に感じるものがあって、『インターネットはからっぽの洞窟』(クリフォード・ストール 著 / 倉骨 彰 訳)を読んだのは、もう10年も前になる。

「インターネットについての洞窟学的序説」からはじまって、「コンピューターが人間をつかうということ」や「ネットを飛び交うからっぽの会話」などなど、たしかに当時のWeb環境に思い当たることがらについて、どこかシニカルだが的を得てると思わせる内容が展開されていた。

「嵌った…!。」というより、その後、インターネットについて考えるとき、いつでもこのクリフォード・ストールの、少しシニカルな論理があたまの片隅にあったし、「自分は、『からっぽの洞窟』にもてあそばれるのほどの馬鹿でもない!」という思いあがりにちかいものがどこかにあった。

しかし…!。

コンピューターやインターネットの環境に、10年前とは、たしかに「はるかな古代を思わせる」かのような状況にあるようだから、この期に及んで苛立つことはおろかなことでしかないのかもしれない。だけに、苛立つことはよそうと思う。

だが、最近、これに「何たることだ!」と思うことがつづくのだ。

知人がはじめたブログにさまざまに触発されるものがあった。また、テキスト系の自分がこれまでに書き溜めたパソコンの中にさながら澱のように溜まった文章も、そろそろ整理が必要だと考えてもいたことから、2ヶ月ほど前からこのブログをはじめた。

だけに、当初はブログの公開も面倒なものを感じていたのだが、Web上に上げてあれば、いつでもどこからでもそのデーターを見たり読んだりできる便利に公開もした。そして、しばらくは、ありきたりの当たり前にあったのだろう。

だが、最近、この『インターネットはからっぽの洞窟』を読んだことが「何たることだ!」と後悔するぐらいに、Web上に「感動」と「喜び」に出会う機会がつづくのだ!。

数年前に、いわゆる不登校の子どもたちや、引きこもりの子どもたちに関わる機会があった。しかし、そうした経験のない自分に、なにほどのことを理解することが出きるのだろうと考えたことから、実際に、しまね自然の学校の「倶楽部はうす」に数ヶ月ほど引きこもりを体験したことがある。

そして、それがすべてということでは無いのだが、このときに感じた「引きこもる心地良さ」をさらに検証してみたい思いもあって、現在、自分の住まいする上津の谷からできるだけ出ない暮らしを楽しんでいる。だけに、引きこもりなどを懸念される立場におられる方々から見れば、ときに不安をも覚えるかもしれないと思えるほどに、いまのわたしは「どっぷり、引きこもる」状況にあるのだろう。

しかし、現在の、こうした状況への自身の認識は、まったくそうした理解にはない!。どころか、たぶん、ライフワークとした登山や出張の多かった仕事も含めて考えてみても、「人に出会う機会」の多かった若い時代に比べて、いまのインターネットを通した環境に、はるかに質の高い「出会い」と心地良い日々を過ごしている。

つまり、『インターネットはからっぽの洞窟』などとは、とんでもない偏見であり間違いであると言わざるを得ない!。

写真は、半月ほど前からリンクをいただいている北海道にお住まいの meLL flowers さんの最新記事にアップされていた美しい数枚の写真の一枚なのだが…。じつに、この写真に唖然とさせられてしまった。

じつは、我が焚き火小屋には、この写真のmeLL flowers さんの作品がディスプレーされた窓のような飾り棚がある。もともと、違う建物の事務所だったスペースに書類用のラックとして作ったものを、デザインをそのままに焚き火小屋に移したものだ。じつは、現在は、音響用の設備のスペースも兼ねたこの飾り棚のディスプレーに3年ほども悩んでいた。

ここに、meLL flowers さんの作品はパーフェクトだと思えたのだ。だけに、まるで我が焚き火小屋のために、デザインしていただけたかのような感動に唖然としたのである。

しかし、meLL flowers さんの作品の凄さはこれに止まらない。じつは今日、デザインに詳しいある知人とともにこの作品を拝見しながら話をしていたのだが、この知人曰く、meLL flowers さんの作品に「アメリカ」を感じたそうだ。つまり、北海道の社会的な文化に本土にはないだろうモノを感じるというのだ。

古い伝統や歴史にしばられることなく、あたらしい可能性や価値あるものを受け入れる社会の存在である。meLL flowers さんのさまざまな作品には、そうした環境に自由に発想・発揮される洗練されたダイナミズムのようなものがあって、知人は、これに、じつに「アメリカ」的な現代アートに通じるものを感じるのだという。これに、わたしも同感である。

また、半月ほど前には、これもリンクをいただいている方のブログに関わるのだが、その方のアップされた写真に、30年もの永いあいだ、自身のこころの中に揺さぶられ続けた内的心象とでもいうべきものの整理をつける機会を得ることなどもあった。

こうした、わたしという個人が、当たり前の現実的な暮らしの環境にいるだけでは体験どころか、意識することさえできないと思えることが、このブログをはじめてから続くのである。一体、インターネットとはなんだろうか!?。

ある男女共同参画関係の施設に関わる知人は、現在の高齢化が進む社会に、このインターネットの有益性を意識されているという。ブログならではの相互関係のあり様に「一人になりがちな老人たち」の、主体的な福祉の可能性を意識されているのだそうだ。大変、素晴らしいことだと思う。

じつを言えば、ブログは、いまだ2ヶ月を過ごしたに過ぎないのだが、ネットのオークションの環境を活かして、しまね自然の学校に関わる実験的な事業はずいぶん前から続けてきた。これはノートパソコンを自作・再生する不登校の子どもたちの支援事業である。

子どもたちに、オークションで、ジャンクも含めたパーツを探させ、それぞれに自分で落札させる。自分で取引をして、大人たちとさまざまに関わることで、ときに大人たちに「だまされたり」、また「思いがけない感動」をいただいたりと、彼らは、現実の日々の暮らしにはまったく経験できようもない体験をしたようだ。

さらに、新しいものを買えば10数万円もするノートパソコンが、少し古いパーツを集めることで自作できることの感動もあった。ここでは、そのOSに該当するものに「Linux」を使ったのだが、子どもたちは、この素晴らしい世界に「科学や文化が個人に資するモノではなくて、この世界中のすべての人々の共有すべき財産であること」も理解したようだ。

ともすると、一見、匿名性の社会に特有な課題もあるのかもしれない。だが、しかし、その質高いものを真摯に見つめてみれば『インターネットはからっぽの洞窟』だなどとは、まったく大きな間違いであると気付くだろう。
  
ともあれ、嬉しいことに、このインターネットという素晴らしい世界が、わたしの「上津での豊かな田舎暮らし」のためにもはやなくてはならないモノになってしまったようだ。


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※写真は meLL flowers さんにご無理をお願いして、嬉しいお許しをいただき、感謝しつつ、ここに掲載させていただいた。
極める… 
「究極」とか、「極限」などと言った言葉を耳にするとき、われわれは、どういったことを思い浮かべるのだろうか。「豪奢を極める!」や、「極限的な…!。」などと言う連鎖するものに意識してみれば、これらはともに、じつに抽象的で、なおかつ非現実的なレベルに感覚的なことであるようだ。

だけに、なにかについて、こうした言葉を使いながら話を進めようとすれば、「もっと具体的でわかりやすく…!。」などと、返されることがままにある。たしかに、この「個人差の激しい感覚的なこと」に基づく話などは、同じレベルの体験の共有が前提にされるならともかく、それらが無視されるなら、話しをする人物は、その話題について正しい知識や認識を持ち合わせないか、「本当のことを話したくないのだ」と捉えられても当然なのかも知れない。

だが、しかし…。そうしたことについて「本当か!?。」と思いながら考える機会に最近よく出会うのだ。

唐突だが、「『武芸の相伝書』詳解・示現流聞書喫緊録」という書物が手元にある。簡単に説明すれば、どうやら「示現流研究会」という団体が、鹿児島県内にバラバラに伝わってきた「薩摩示現流」の奥伝や口伝を丹念に集め精査して一冊の文書にまとめたものであるようだ。

じつに難解なのだが、これをざらっと読み飛ばしてみると、ある意味「奥伝」とも言うべき究極のこころの有り様について触れるあたりに「月船君」という言葉が出てくる。ふりがなもなく読みも良く解らないのだが、難解な文章を読み込めば、どうにもこの「月船」とは、胎児のことを意味するらしい。また、「君」とは、「…君と名付くるは、意識なく工(夫)無きを敬って名付くる。これ万物の上に抜きん出た高上の形なり。…」と出てくるのだ。

つまり、示現流の奥伝に伝えられる究極のこころの有り様とは「胎児のように無想であれ」と言うことらしい…。胎児が無想だとする論拠がどこにあるのかという疑問も残らなくはないが、いわゆる「無念無想」などという言葉について思えば理解できる気もする。

幕末、新撰組の近藤勇が「薩摩の初太刀をはずせ」といった有名な言葉に裏付けられる、必殺の「一太刀」を追求して、世に名高い示現流の奥伝がこれである。「究極」とか、「極限」などと言った状況の説明が、どれほどに難しいのかと考えざるを得ない。

こうした妄想にちかい思いの中に、このところの自分にとっての極限に思いを馳せてみたら写真のスプーンについて考える気になれた。

じつを言えば、こうしたスプーンをこれまで10年ぐらいのあいだに300本ぐらいは作ってきたろうか。シンプルなデザインと柔らかなフォルムのこれらを、最近では、それこそ無心に30分ぐらいで作れるようになった。そして、そうした状況は、観てくれる大半の人々に、これは「じつに簡単に作れる」と思わせるようだ。

確かに、竹の特性をよく理解し、あるレベルに至れば簡単なことである。しかし…。

じつを言えば、昨日、このブログにアップした「ピッチャー」などよりもこちらの方がはるかに難しいのだ。じつは、このスプーンを作るに当たって、2つの道具を自作した。つまり、通常の彫刻刀などでは掘りようのないスプーンの内側のカーブに合わせた鑿である。また、もう一つは、この全体の柔らかいフォルムを作るための治具である。

そして、その上で、竹に特有な資質に、無作為でもなく、また「無呼吸の瞬間の技」でもなく、いうなれば示現流の「月船君」にも似たこころ構えのなかにこそ仕事をするのだ。

さらに、その究極に、二枚目の写真の「耳かき」がある。そして、こちらは切り出しナイフ一本でしか作れないのだ。

これまでに、ずいぶん多く委嘱された体験教育事業に、これらを教材としてきたが、残念ながら参加者の大半がここを理解しない。結果、すべてが「お遊び」で終わってしまう。ひどいときには、「こんなことは、おんな子どもの遊びだ!。」と、目の前に投げ出す人もあったぐらいだ。

竹の資源としての可能性を考えたら、これはじつにもったいないことだと思う。

「竹細工の巧みな人」は結構いる。だが、こうした人のすべてが、従来の割って、割いて、編む細工が巧みな職人的な人々なのだろう。こういう人々や、その技術を否定するつもりなどもうとうにないが、その技術の継承や市場の現状を考えれば、このままで良いわけがない。

ましてや、里山の現状などを意識し、従来、食べる対象だった「孟宗竹」を素材とするならば、新たな彫刻的なデザインこそが必要だと思うのだ。

現在、この手のスプーンでもっとも要望が多いのが赤ちゃんの離乳食用のそれなのだが、これなどは今後も本気で作りつづけていきたいと考えている。

なぜなら、生まれてはじめて口にするそれが、素材としても未だ100年にもならず安定したと言いきれないプラスチックのキャラクターものなどのそれで良いのだろうかと考えるからだ。また、女性たちのそうしたことに関わる思いに、この「竹」という素材の安定した清浄感こそが安心するものを与えてくれるのではないかと思えるからだ。


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