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花は野にあるように… 
出雲ならではの豊かさの中に暮らす日々の思いを「田園に豊かに暮らす」と題して綴る知人のブログに、「なんで、家には金が無いんだ。」「何言っとる、金はあるじゃない。ただ貧乏なだけだ。」とはじまる記事を見つけた。

不景気でも、塾に学ぶことを許されて…。部活動用の靴や道具を当たりまえに買ってもらえる友の姿に「次男は「なんでうちは…!」とやり切れなかったのだろう。」と言葉がつづく。また、高校進学に、家に経済的な負担をかけないよう進路を変える我が子の「歯ぎしりをするような我慢」を、「貧しさの中に懸命に育つ我子をあるがままに見つめる母性」をもって…。高群逸枝にして「世間並み,この言葉,呪われてあれ」と、憎悪し、吐き捨てるしか出来なかった「世間」を俯瞰しながら、自身が大切にする「与えられたそれぞれの場所にこころ豊かに暮らす」思いを丁寧につむいだ文章が、淡々と綴られる。

まるで、吉野せいの『洟を垂らした神』を読まされるかのようだ。戦後の貧しい時代を懸命に生きた世代なら「頬つたうもの」を禁じ得ないかも知れない。しかし、若い世代はどう受け止めるのか。子育て真っ最中の若い友人にコピーした文章を送ったら「ああ。です。ありがとうございます。Veronicaさんのこの文章読めてよかった。子ども達について考えながらかみさんと読んでみたいです。ありがとうとお伝えください。」と返ってきた。

とりわけ、文章の最後の「貧乏だが心豊かに暮らす…。我が家のこの貧しい暮らしに子供らが学ぶことは、私の想像をはるかに超えている。」という一言に、現代の子どもたちの育ちの環境になにが欠けているのか、また、いわるゆる「家族」や「我が家」に、なにが最も大切にされるべきなのかを考えさせられたという。

知人に、感謝をもってただただ敬意を表したい。そしてこの母に、このすごい文章を書かせた次男君の真摯にして懸命な育ちに、あらんかぎりのエールこそを送りたい…。

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※本文章は、島根日々新聞の木曜日のコラムに2009年8月6日に掲載した文章(に、少し加筆したもの)です。新聞社との契約により、他の出版物等への本文の転載や引用など出来ません。ご配慮をいただければ幸です。

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