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焚き火の向こう側に… 
「パーソナリティーがパラレルに評価される時代の是と非と。」

島根に転居してきたころに、あるイベントをきっかけに知り合った建築家の自邸のトイレの壁に、そんなタイトルの新聞のコラムが押しピンで止められてあった。これは、「それぞれの個性や人格が尊重され、大切にされる時代になって、秩序やモラルなど、ある種の社会性がまるでこれに反比例するかのように堕落しつつある。」といった内容だった。

その内容もさることながら、この建築家の「思惟の深さ」や、そうしたことを考える姿勢の凄さを見せてもらった気がして大変心地よかったことを記憶する。

それから、そろそろ二十年がちかい。時代は、まったくそのコラムにあったように、そうしなければ損だとでも言わんばかりに、個人主義と利己的なものとが履き違えられたかのような様相を呈しているようだ。その関わる地域社会や職場や、ときに家族の関係などにも、注意してみればそうした状況が見え隠れする。

ある夏のキャンプの夕刻、いつものように賑やかな子どもたちの「自分でする夕食」も一段落して、皆が、焚き火の回りに集まっていた。しまね自然の学校のプログラムで、ここがもっとも素敵で心地よい時間であるかも知れない。焚き火の焔の揺らめきに魅せられ、少し寡黙になった子どもたち…。慌しかった一日に、しばし休息のときをとりもどすスタッフにも…。

その静かな時間がこわされた。

焚き火から少しはなれ、一人、ポツンといた少年が、突然、大泣きに泣きだしたのだ。しかし、こういうシーンに、いわゆる「ホームシック」を当たり前に体験してきたリピーターの子どもたちも、そしてスタッフも、これといった反応を示さない。

5 分ほど、呼吸も出来ないのではないかと思える号泣が続いたろうか。どうにも堪りかねたらしく、少女が一人「もう、泣くなよ!。明日になればお母さんに会えるんだからさ!!。」と、珍しく説得するような口調で言った。だが、これで号泣はさらに激しくなった。少女も「しまった!。」という顔をして下を向いている。

自然の学校のキャンプで、一番厄介なのが「ホームシックの連鎖」である。原則、「冒険」が意識されたプログラムに、これが起こってしまうと全体のモチベーションが下がって収拾がつかなくなるのだ。

泣きじゃくる少年を抱き寄せ、焚き火から少しはなれた椅子にかけさせて、さらに10分ほど号泣は続いたろうか。少し落ち着いたかなと思えたころに、「おじちゃん!お母さんは、なんでぼくを捨てたの?。お父さんも、なんでぼくを捨てたの…!?。」と、彼は、小さな声で言った。

聞き直すことなど出来なかった…。

しまね自然の学校では、「食う、寝る、遊ぶを自分でする。」ことと、「けして、我慢をするな!。」を、プログラムの前に子どもたちに伝える。これは、自然の学校のプログラムの大半が、"子どもたちの誰の中にも当たり前に備わる「育とうとする力」とも言うべき「わくわく」と「ドキドキ」とを併せ持ったこころの存在"こそを信じて、丁寧に紡いだ、ある意味「冒険」だからだ。この「冒険」の中に「強いられる我慢」があるとすれば、それはすなわち「暴力」である。つまり、子どもたちの育ちの支援に、断じて「暴力」などあってはならないと考えるからだ。

だけに、この言葉を彼らが解する言葉を持って伝えるのだが、この少年は、この言葉とキャンプの夕刻の焚き火の前という特別なシーンに、自らが「こころの奥底に封じ込めていた思い」を解き放してしまったのかもしれない。

少年は、はじめて自然の学校のキャンプに参加してきた子だった。近くにいたスタッフに参加資料も持ってこさせて、彼の言葉の意味を理解した気がした。保護者の欄が「祖母」だったからである。

泣きじゃくるこの少年をほかの子どもたちから離して、まんじりとも出来ない夜を過ごした。当時、わたしは、五十歳を幾つか越えていた。しかし、父母に捨てられた経験などあるわけもない。つまり、わずか10歳あまりの少年の苦悩の、万に一つも理解しようがないではないか。

眠れぬ夜を過ごした。

「恥ずかしいことで…!。」と、少年の祖母はを繰り返すばかりだった。とにかく「恥ずかしいことで…!。」と…。

少年の母は、その実家のある地方都市から、少しはなれた山間の集落に嫁いだのだという。少子高齢化が進むそこに少年を生んで、その母は、どうやら育児に悩んだらしい。近くに同じ年齢の子育て世代もおらず、その暮らす環境にも馴染めないままに…。その母は、少年の子育てを実家近くの地方都市の育児支援施設に頼ったようだ。つまり、ほぼ毎日を車で山間の集落からその施設まで通うのだが、このことが、姑とのあいだに埋めようのない溝をつくったようだ。

「わたしが嫁いだころは、10年のあいだは、隣家の敷居さえ跨ぐことはなかった!。」という姑にすれば、孫を連れて、毎日のように街に出かける嫁に我慢が出来なかったのだ。

結果、その母は、少年を連れて実家に戻るしかなかった。だが、その不幸は、そこに終わることが無かったようだ。

地方都市の古い街中に、小さな惣菜屋を永年営んできた少年の祖母は「恥ずかしいことで…!。」を繰り返すばかりだった。つまり、娘の「子連れの出戻り」がである。傷つき憔悴したその母に、この言葉は酷かったのだろう。

一週間ほど引きこもっていたが、少年を置いて夜半に居なくなって、もう5年になるという。また、その父も、直後に少年を訪ねてきたが、「母を探しに…!。」と出て、そのままなのだという。

そして、その後の子細は解らない。

誰が、非難されるべきなのだろうか。この少年の母は、ただただ「馬鹿な女」というそしりを受けざるを得ないのだろうか。なぜ、この国は、この少年やその母を救うことが出来ないのだろうか。

不倫、そしてその果ての離婚…。ときに、こんなところにまで「パーソナリティー」が主張されるのか。次世代を育てることも出来ない社会に「個性の尊重」とは、「わたしの権利」とは、一体なんなのだ!。

少年の生まれた山間の集落は絵の中のように美しい集落だ。かつて、そこは、人々が穏やかに暮らすに理想郷であったはずだ。子どもたちの育ちにも、お年寄りの穏やかな老いのためにも…。

ただ、そこには、「わたしの権利」の主張の前に、「地域に一員としての自覚」こそが、もっとも大切なことだとされてきたのだと、われわれは知るべきなのだ。

さきに記した建築家が、出雲市の郊外に「古民家塾」をはじめて数年になる。最近では、「中山間地域で、建築ができること」などといったシンポジウムなどもおこなっていると聞くが、これは嬉しいことだ。

なぜなら…。

少年の生まれた絵の中のように美しい集落にも、この国が選択した産業主義的価値観によって、わずか五十年ほどのあいだに、様々な問題が生まれている。その問題を解決すべき課題に置き換えるためには、持続可能な近未来を見据えたデザインとでも言うべきものが是が非でも必要だ。そして、そこに、日々の暮らしに直結しその変化を即しやすい「建築的なもの」こそが、もっとも解りやすく、大きな可能性を感じさせてくれると思えるからだ。

ただ、そのムーブメントの認識に、「主人公は誰か!。」が見失われなければの話なのだが…。
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