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静かな夜につまらぬことを… 
なんだか、とても静かな夜に「心地良いな!。」と思いつつ…。田舎に暮らすことを考えはじめた20数年前、こんな夜があったことを思いだした。

仕事は電気関係。そのジャンルは、店舗などの照明デザインや、さまざまなジャンルの製造業のラインの自動制御の電気計装など。だけに、一年中、季節に追われ続ける日々だった。

しかも、その季節は、世の中の当たり前よりも常に半年ほど先ばしる。つまり、いまのシーズンだったら夏のことを…。春になったら秋の季節を考えて…。当時のわたしにとっての季節とは、けして、日々の暮らしに自らが感じるものなどではなくて、常に「誰かのために思うもの!」だったのだ。

そして、その「誰か…!」とは、自らが直接関わることなどまるでない産業主義的社会構造の中の見知らぬ人々である。つまり「エンド・ユーザー」と言う名前の…。

これは、いまの時代に取り立てておかしなことではないのかも知れない。だが、当時のわたしには「これで良いのか!?。」という疑問が、いつも脳裏にあった。それでも、いまだ若かったころには、なにか自分たちが、新しい時代のトレンドやムーブメントをつくっているかのような錯覚に高揚させられたこともあったに違いない。

また時代は、いわゆる「バブル」に向かって止まることなどとても意識できない状況にあった。だけに、経済的にそれなりに恵まれていたことが、却って、自らの「生きる」に本来的に大切にしなければならないものを見失わせる状況にあったのかも知れない。

ともあれ、北は北海道から南は九州・鹿児島まで、全国を相手に仕事をしてきた。これがもっともひどかった時には、新車で手に入れた車の走行距離が、わずかに一年で10万キロに達したこともあるほどなのだから我ながら唖然とする。考えるまでもなく、これを単純に計算しても毎日300kmもの距離を移動していたことになる。仮に時速100キロとして、一日3時間以上をその移動に過ごしてきたということだ。そして、現実には、わずかに3時間程度などということはあり得なかった。

賃貸料が月に20万を越えたマンションは、どんなに気取って設えても、平均すれば、週に2日ほど寝るために帰るだけ…。大半は、ビジネスホテルか、移動の車の中に過ごしていたことになる。

ある時、これに気付いて愕然となった!。つまり、「自分の人生とは、いったい何か!?」と…。

ともあれ、これが「田舎に暮らす」ことを本気に考えるきっかけになった。

だが、現実に、それがどういうことなのかを理解できずに、まずは「ユーノスロードスター」というおもちゃを手に入れた。つまり、自分の本当に望む「田舎暮らし」を探すためにである。

いまにして思えば、これは、自身の些細なキャリアや経験などをその後のライフスタイルに活かしたいなどと考えていなかったからであるようだ。また、その田舎暮らしを「望まれて…!」することも避けたかったからである。じじつ、この車を駆って訪ねた先々で、真面目に田舎暮らしを考えていると言っても大半の場合信じてもらえなかった。

そう、それで良いのだ!。

善人を気取るつもりはないが、見知らぬ土地で田舎暮らしを始めようと考えていたわけだから、できるだけその地元に益することも心掛けようとは意識していた。だが、移住する前から、なにか「期待される」ような状況はない方が良いと思えたのだ。つまり、余所者はどこまでも「怪しいやつ…!」ぐらいが、ちょうど良いはずだと…。

それがどういうことであっても「変化を望む」とは、つまり「受け入れる」ことであるのだろう。そして、受け入れるためには、自らが「望んで」こそ、その「なにものかを受け入れることが可能」なはずなのだ。つまり、十分に互いを理解しないままに「望まれたから」などと動けば、必ずや「こんなはずじゃなかった!?」になりかねない。

つまり、「受け入れる側」とは原則的に「変化を望まない」と理解するし、ときに状況が変われば、たやすくそのすべてを元に戻すことが当たり前に出来るポジションでもあると思えるからだ。そして、「正論」とは、人それぞれに違うものなのだと考えるのだ。

だけに、おもちゃのような車を乗り回す「怪しいやつ…!」と思われるぐらいがちょうど良い。当然、これで移住のための難易度は否応もなく上がってしまう。だが、自らの移住に関わるさまざまな人々の立ち位置を思えば、「移住する側」とは、それぐらいの意識を持って当然だろうと考えるのだ。

東北縦貫道から八戸への道が分岐する辺りに「七時雨山」という美しい山がある。だが、いわゆる山岳と呼ぶには程遠い。夏の間は岩手牛の放牧が行われるのだが「美しい高原」と言った方が的を得るのかも知れない。

ここをロードスターを駆って訪ねて、気に入ってそのまま10日ほども過ごしたことがある。

確かに風景も美しかったのだが、そこで出会った人に魅せられたのだった。そして、おもしろいことに、わたしの記憶にはまったくなかったのだが、この人物に出会ったのがこの時が初めてではなかったのだそうだ。

その「七時雨」から、さらに10数年前。つまり20代のはじめのころに、北アルプスの穂高・涸沢で小屋番をした時代があった。ここで一度、会ったことがあると彼は言うのだ。

すこし病んで、つまり「死に場所」を探すかのような山旅だったのだという。ここで、小屋番の合間に、いまで言うボルダーリングに明け暮れていたわたしに出会ったのだという。

「フリークライミング」という概念すら、いまだ一般的ではなかった時代であった。だが、当時、いわゆるアルパインスタイルのクライミングに飽き足らず、フリーソロにもちかいクライミングをしていたわたしのトレーニングを目にして、自らの「立つ位置」について、深く考える機会を得たのだと彼は言うのだ。

だけに、わたしに彼の記憶はまったくない。だが、その服装や状況の説明を聞けば、すべてが、確かにその通りだった。

そして、彼は言うのだ!。

「すべては、あなたに出会えたおかげなのだ!涸沢で、あなたのクライミングを目にすることがなかったら、もしかすると自分のいまはないかも知れない。当然、ここを(七時雨)を訪ねてくれる人々が羨んでくれるほどに心地良い、現在の暮らしなど、あり得なかった…!。」と…。

涸沢を訪れたときの彼になにがあったのかなど知る由もない。しかし、人の「縁」とは、じつに不思議なものだと思えた!。

わたしの田舎暮らしには、あの美しい七時雨の風景の中に、この人物の言葉に学んだものが数多い。

とりわけ、その「立つ位置」について…。




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