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園児たちのスペシャルな森遊び…!!。 
多伎保育園①
しまね自然の学校のあるスタッフが、8月の半ばぐらいからクライミングの人工壁をセットするパーツを資材倉庫にがさごそと弄っていたことに気付いていた。しかも、彼の企てが、フリークライミングのための環境整備では無いこともだ。人工壁をセットするパーツは持ち出しているが、ロープやハーネスなど、その他の用具がそのままに残されていたからだ。

一昨日の夜、その彼から「多伎保育園児と遊びました~!!(笑)」と、嬉しそうなメールが来た。

添付されていた写真に「ちっ!してやられた!。」と感じて、それをそのままに返信したら、さらに、彼が仕掛けた「森の中の人工壁」に、多伎保育園の可愛い園児たちが夢中に遊ぶ写真が大量に送られてきた。

翌、日曜日に嬉しそうに現れて、曰く「やつらは、つかれをしらない…!。2時間休まず!飽きず!泣かず!何度も何度もへばりつき、全員、端から端まで落ちずに行けるようになりました。もっとボードを増やしてくれというガキまでいました。低い木で木登りと、ターザンロープをオプションでチョコッと。ボードの撤収で疲れました~~!!。…」と、「最高だった!。」という。

8月初旬に、多伎保育園の園長さんから、園児たちの「この夏のスペシャルな野遊び…!。」の相談を受けたのだそうだ。

聞けば、半日を多伎の海浜にすごし、午後からは、三瓶の森に子どもたちを遊ばせたいと考えていたという。我が、親愛なるスタッフは、国立三瓶青少年交流の家に永く非常勤講師としても関わり、その施設の主催事業なども多く担当した実績も持つ。だけに、児童たちのためのメニューに、彼自身がずっと大切にしてきたフリークライミングのスキルが意識されたのは必然とも言うべき状況にあったのだ。

多伎町小田の出雲市役所支所前に、高さ3メートルばかりのボルダー(大岩)がある。あるとき、県教育委員会から講演を依頼されその近くの図書館を訪ねたおりに、このボルダーを攀じりたいと言ったら会場におられた町の関係者が「どうぞ!どうぞ!!。」と笑いながらおっしゃってくれた。しかし、そのしばらく後に、本当に攀じりに行ったら施設の管理担当者が驚いて困惑していた。これは、疑問に思うまでもなく、常識的に考えれば当然なことであるだろう。

だが、しかし、これが多伎町の園児や学童が攀じりにいったのならどうだったろう。考えるまでもなく、ここでも当然、許されることなどないだろう。理由は、「その環境にあらず!」だからだ。

支所前のボルダーとは、つまり、玄関前の「飾り石」なのだ。ここに変なオヤジが攀じっていたら、誰が考えても「パトカーを呼べ!。」こそが、むしろ正しい判断だ。

だが、これを子どもたちの育ちのシーンとして捉えたら、どうなるだろうか。

市民の福祉が意識され、多伎町にも素敵な公園がいくつも造られていることだろう。ここにカラフルで楽しいブランコなどの遊具があるやも知れない。しかし、その「用意された遊具に遊んだ」記憶と、支所前のボルダーを攀じって、管理するおじさんに「こらっ!。」と叱られ、追われた記憶と…。どちらが、多伎の子どもたちの生涯に大きく関わるだろうと考える。

美しいふるさとの風景があれば、子どもたちがこころ豊かに育つわけではないだろう。ときに、幼なじみとともに成すすべの無い理不尽に半べそをかいて…。また、箒を振り回すような偏屈なジジイに追いかけ回され…。可愛がってくれる近所のおばちゃんがいて…。そして、それらのすべてを暖かく見守る父母の大きな愛情に満たされてこそ、彼らの育ちはあるのだろう。

現代の子どもたちの育ちの環境は、あまりにも、大人たちの都合と管理にしばられすぎると、我が親愛なるスタッフは嘆くのだ。

「飽きず!泣かず!何度も何度もへばりつき…!。」2時間ものあいだ夢中に遊ぶ子どもたちを見ていた引率の園の関係者と話をしたそうだ。ある保育士さんは、子どもたちの圧倒的なパワーに驚いたという。また、普段の子どもたちにはなかなかに見ることのない「共同・協調」が、当たり前に生まれることにも感動していたという。

しかし、これは、考えてみれば当たり前のことなのだ。彼らの群れる遊びは、誰かによって、与えられた「課題」などでは無いだろう。ここに、いわゆる「競争感情」のようなものは生まれ得ない。だけに、子どもたちは、当然のように助け合い支え合う。

三瓶の森の人工壁に、子どもたちが見せてくれた「群れ遊ぶ」ことと「集められ学ぶ」ことのどれほどに違うかに、かかわった大人たちがさまざまなことを考えさせられたということだ。

ちなみに、ここに仮設された人工壁は、子どもたちにとって単なるツールに過ぎない。彼らが遊んだ本当の世界は「重力」という途方もない世界だと理解されるべきだ。また、その誰にでも平等なこの世界に遊ぶ子どもたちは、「集められた」にもかかわらず、必然として「群れ遊ぶ」状況を生みだすのだと心得るべきなのだ。

つまり、園児たちは、「自然の中に群れる」ときと変わらない状況にいるのだ。そして、そうした環境に遊ぶ子どもたちの凄さを、2枚目の写真の緑色のTシャツの男の子が示してくれている。次に出てくる「松の木のカンテ(開いた本の背表紙のようなコーナ…)」を回り込むために、この子は、右足に「カウンターバランス」をとりながら、持ち手の順序を変えている。これは、クライミング用語に「クロス・ムーブ」という比較的難易度の高いテクニックなのだ。さらにを言えば、次の子も、この子に習って同じムーブをするための準備(もしくは体制…)に入っている。

これを、既成概念にしばられ、墜落の恐怖にかられた大人たちにさせれば、ここでまったく動くことが出来なくなる。結果、腕力を失って大半の場合ここで落ちることになるだろう。子どもたちが自然の中に遊ぶとき、そのこころが如何に柔軟で豊かであるのかを大人たちは知るべきだ。また、そこでの彼らの主体的な「学び」や「協調」についてもである。

ともあれ、こんな楽しい遊びから除けにされた「ちぇ、してやられた…!。」は、しばらくのあいだ続きそうだ。
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