FC2ブログ
スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「オロチの子らの川流れ」 
「オロチの子らの川流れ」は、しまね自然の学校が夏の終わりを告げるプログラムだと言っても良い。この週末、久しぶりの晴天にも助けられこれを無事に終えることができた。

しかし、考えてみれば、このプログラムはずいぶんながい!。

しまね自然の学校の支持母体「しんじ湖自然派倶楽部」の川遊びのイベントに、未だ2歳にもならない男の子が、ペットボトルしがみついて、大はしゃぎにその父に遊んでもらっていた。

このことが、このプログラムを閃かせてくれたのだが、その男の子が今年、高校三年の夏の最後だとピアリーダーとして参加してくれている。つまり、「オロチの子らの川流れ」は、今年、17年目に入ったことになるのだろうか。

「八股の大蛇(やまたのおろち)」の神話によって、斐伊川という名前はずいぶん前から知っていたが、その本当の姿を解したのは、島根に転居してから、仕事で福岡に向かう航空機から眺めたそれが最初だった。伏流し、ウロコを思わせる砂れんに覆い尽くされた斐伊川が、おりからの夕日に映えて、まさにのたうつ巨大な「オロチ」のように眼下にあった。

しかし、翌年、初夏の心地よい日差しの中でその河床に立ち、こんどはそのあまりの穏やかさに驚かされた。

「オロチの子らの川流れ」に参加する子どもたちは、この川をすごく楽しい「流れるプールだ!。」と言う。確かにそうだ。元気に走り回って転んでも、大量の真砂に埋め尽くされたこの川では怪我の一つもあり得ない。また、伏流する流れの中で、三歳児が浮き輪一つで安全に遊べる川など、国内はおろか、世界中を探してもなかなかに見当たらないだろう。

だが、それほどに安全な川であっても、水辺に長時間あそぶなら水難対策は是が非でも必要だ。しかし、この見た目の穏やかさは、この川にあそぶときに意識しなければならないその特有とも言うべき危険を見えにくくするようだ。

子どもたちの水難について議論するとき、多くの人が「水に溺れる」ことは理解する。しかし、ではなぜ「水に溺れる」のかについて聞けば、大半の人がその口をつむぐ。ある程度泳げる"子どもたちが溺れるのは、何ごとかに起因して体温の低下が起こり、その先の体力の消耗と筋力の萎縮による”と理解する人はなかなかいないのだ。つまり「低体温症」の理解をである。

子どもたちを溺れさせないために意識すべきは、まずは、彼らの体温の低下に注意をはらうことだ。つまり、くちびるや顔の色が悪くなったり、手足が白いなどの状況に注意して、少しでもおかしかったら即座に水からあげ、暖かい飲み物や、チョコレートなどのハイカロリーな食べ物を与える。また、濡れた体を拭いて保温する。

これだけのことで状況は一変する。だが、斐伊川に「川流れ」のようなプログラムを実施するのなら、さらに「風」の特性の正しい理解とその対応が重要な課題となる。

まずは「体感温度」という「風」に関わる言葉の意味を理解するべきだ。そして、次に「斐伊川に特有の風」の理解ということになる。また、その対策のために、その理にかなったさまざまな装備を用意する必要があると知ることだ。

風速(秒速)1メートルの「微風」は、暑い夏の日など、爽やかに感じる「心地よい風」だろう。では、なぜ「爽やか!」なのか。理由は、体温を奪ってくれるからである。「風」は、風速1メートルで1℃の熱を奪うのだ。そして、その風速と「体感温度」は反比例する。つまり、風が強くなれば奪われる熱量も大きくなって、体温はどんどん下がる。(最悪、真夏でも高山などでは凍死に至る。この夏、北海道の「トムラウシ山」でおきた凍死・遭難事件はその典型的な状況だ。)

しかし、水難対策のために必要な「低体温症」の理解は、この先にこそある。体温の低下が起こると、人の体は、脳や内蔵などの重要な臓器を守るために血液の流れをコントロールする。つまり、顔面や腕や足への血流をカットして、冷えた血液を重要な臓器に回さないようにするのだ。結果として、手や足さきのしびれや感覚の喪失、また、顔色が悪くなったりする。

さらに、体の小さな子どもにはこの状況が急激に進行するが、遊びに夢中になっている彼らは、なかなかそれに気づかない。だけに、こうしたシーンに立ち会う大人は、子どもたちのくちびるや顔の色がすこしでもおかしければ有無を言わさず水からあげる必要があるのだが、ときに「優しすぎる大人たち」には、これが難しいことであるようだ。

斐伊川の特性は、さらにこれらに追い討ちをかける。つまり、斐川や出雲の平野部に少しでも風が有るとき、斐伊川を吹く風は、その水の流れに逆流して止むことがない。(その地形から、加茂町三代から出雲市大津町あたりにかけてはとり分けだ。)結果、小さな子どもたちは浮き輪にのったまま、ときに水の流れに逆らって押し戻されることがおこるのだ。つまり、彼らの体力を消耗させる時間はどんどんながくなる。

その風景を漠然と眺めるだけではけして見えないこうしたことに配慮がなされ、その理にかなった装備を用意しなければならないのだが、じつは、市販品を探しても、原則的に充分なものはあり得ない。

しまね自然の学校がこのプログラムのために用意するものは、市販品としては、ライフジャケット(子どもの数だけ)、ライフガード用の浮力体、スローイング・ロープ(三本)、カヤック(大小三艇)、黒いビニールのゴミ袋(多数)などである。そして、この他に、流れる川の中に「プールサイドを一緒に流す」ことをイメージした大きなデッキ(つまり浮力体)に焚き火用の薪と非常用の食料や飲み物の類である。

ライフジャケットなどのライフガード用具に説明は必要ないだろう。カヤックは水深が20センチほどあれば自由に動きまわれるシット・オン・トップタイプの特別なものである。そして、これらの装備の中で、"黒いビニールのゴミ袋こそが「低体温症」対策のための最高の必需品”だ。完全に風を遮断して、太陽の恩恵を最大限に利用できるからだ。にもかかわらず、その袋状の構造は機能的だし値段も安いのだ。子どもたちの体を幾重にも保護するにこれに勝るツールはない。

「プールサイドを一緒に流す」ことをイメージした大きなデッキとは、「低体温症状の見え始めた子どもだけ」を水からピックアップするベストを考えて自作した。そして、そのデザインは、いわゆるアウトドアー用のカヌーなどのそれではない。もともとこの川の文化にあった、吃水が浅く底の広い「砂鉄採集」用の船をモデルとした。

つまり、三艇のレスキューカヤックが川を流れる子どもたちの間を動き回り、すこしでも様子のおかしな子どもはデッキの上にピックアップされる。そして、ゴミ袋が着せられ、暖かい飲み物や菓子類があたえられ体調が回復するまで休憩させられるのだ。

また、スタッフは原則的に水には入らない。水の中の子どもたちのサポートは、さきにも記した少年のような「ピアリーダー」たちが担ってくれる。

(しまね自然の学校には、いわゆる「大学生」などの外部ボランティアは一人もいない。その理由は、しまね自然の学校のメニューが、本来的にすべて「冒険」だからである。素人に「冒険」の支援は、原則的に出来ないと考えている。)

原則として、ここまで出来てはじめて、子どもたちに安全な斐伊川を楽しんでもらうことが可能なのだと考える。また、この状況を、「送り出す」という立場で参加をしている保護者が理解することにも意味があるとも考える。ともあれ、"プロの事業体として当然なことではある”が、これでこれまで、参加する子どもたちやその保護者が不安になるようなトラブルは起きたことがない。

そして、今年もまた幾人かの子どもたちが、この世界に類例のない、ふるさとの大河、斐伊川を全身に感じるときを過ごしてくれた。

出雲風土記に「…五群の民この川によって住めり…!。」とこの川のことが記されている。これは、神話時代の昔から、この地の先達たちがこの川の恵みにささえられ暮らしてきたということだ。また、奥出雲のこの川の河岸段丘には、はるか縄文の昔から人の暮らした痕跡も残ると聞く。にもかかわらず、この地に生まれた子どもたちがこの川に触れず、その文化のなんたるかも知らずに育つとしたら…。

現代社会に、「知」の理解のための体験や環境学習などにも確かに意味はあるのだろう。だが、しかし、本当は、ここが故郷であることこそが大切にされ、子どもたちが自らの体感をとおしてこの川を理解することが望ましいと考える。

嬉しいことに、「オロチの子らの川流れ」は17年も続いてきた。しかし、本当は、こうした子どもたちの育ちにこの上もなく大切な体験の機会は、しまね自然の学校などのようなシステムに委ねられるべきではないとも考える。

願わくは、地域社会全体に、子どもたちの育ちの本来的なステージについて真摯な議論がなされ、この「斐伊川」という誇るべきふるさとの美しい河川に、子どもたちが当たり前に遊ぶシーンを望みたい。

その「育とうとする力」のために…。
スポンサーサイト
 
secret


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。