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限界を理解できるように… 
数年前まで、しまね自然の学校に2年ほどをリピートしていた少女がいる。その少女が、深夜にちかい焚き火小屋に久しぶりにお母さんとともに訪れてくれた。しかしなぜ、こんな時間なのだ。しかも、なんだか二人ともいつもと違って奇妙に緊張している。

聞けば、陸上競技用のスパイクシューズのピンが磨り減ってどうしても外せないのだという。頑張って、幾本かのピンを外し交換したのだが、利き足の、もっとも負担がかかっていたピンは交換工具も使えないほどに磨り減っていて、少女には、なす術がなかったらしい。購入先の運動具店でも「もうダメ…!」と言われて途方にくれたという。しかし、参加しなければならない大会を間近に控えて、あきらめるわけにもいかなくて…。

「自然の学校に持っていってもダメだったら、どうしたら良いの…!。」が、その緊張の理由であったらしい。

笑ってしまったら可哀想だが、少女の持ち込んだ課題は、それ自体、ちょっとした金属加工の技術と10分ほどの時間があれば済んでしまうことだった。だがしかし、彼女のトラブルの背景に感じたものは、はるか昔の記憶に連鎖した。

谷川岳の一ノ倉沢・烏帽子岩に凹状岸壁がある。草付き、浮き石が多くて、夏のクライミングには向かず、初登攀も冬季になされたぐらいのルートなのだ。アイスクライミングの技術が発達した現在では、さほどに難しいルートではないのだが、ある年の冬の初めに、ここで単独登攀者が遭難した。

東京都山岳連盟の遭難救助隊から依頼があってこの遭難者の搬出にかかわったのだが、その墜落した理由に愕然とするしかなかった。おどろいたことに、この遭難者のアイゼン(登山靴に装着する金属製の爪のある道具)のツアッケ(爪)は、異常というべきレベルに磨り減っていた。それはまるで、若い女性が丁寧に手入れをした爪の先のように…。凹状岸壁は、雪壁が主となるルートだ。だけに、氷壁を攀じることにくらべれば、アイゼンの担う役割は小さいと言えるかもしれない。しかし、だからと言って、そのツアッケにピンポイントがまるで無い状態まで磨り減っていれば「落ちても当たり前だ!」と思えたことをいまでも鮮明に記憶している。

積雪期に単独登攀をするとは、それ自体が尋常なことではない。にもかわらず、それを実践するレベルのクライマーの、この驚愕すべき事実に感じるものがあって、その後に個人的な調査をしたのだが、その結果もまた驚くしかないものだった。

この遭難者は「聾唖者」だったのだ。

われわれは、その生きるに必要な情報の大半を耳と目によって感知する。そしてさらに、その大半を「見ること」に委ねているのだそうだ。だがしかし、耳からの情報が得られないということは、とてつもないハンデキャップがあるようだ。少なくとも、この遭難者のハンデキャップは、そのまま「死」に直結したのだから…。

彼が「聾唖者」であることを知ってから、クライミング技術について集められる限りのデーターを調べてみたが、ここでも驚くべきことに、専門誌など、いわゆる「文字情報」の中に「アイゼンのツアッケは研ぐべきものだ」と明確に記されたモノは、ひとつとして見出せなかった。

自分は誰に教えられたか…。

山岳会の先輩に殴られながら教えてもらった。いや、それ以前に、大半の人々がたぶんそうであるように、刃物の類は「研ぐ」べきものだと当たり前に理解していたし、先輩に教えてもらったことなど、その先の「微細なこと」であったはずだ。しかし、この遭難者のこの辺は、どのような状況にあったのだろう。

親しい山道具屋のオヤジが、彼のことを知っていた。「ああ。店によく来たけど、一言もしゃべらん奴で、うちの女の子なんか気持ち悪がってたよ!」と…。

彼は「聾唖者」だった。そして、「登攀」という極めて専門性の高い知識とスキルを必要とする世界に、冬季単独登攀を企てるほどに魅せられた。にもかかわらず、彼が手にすることかできた情報とは、「聾唖者」であった彼にすれば、その身を死に至らしめるレベルの不完全なモノでしかなかったのだ。

これは、ただただ「不幸なこと」なのだろうか。

そして彼が、アイゼンについて「正しく知ることができなかった」ことと、少女がスパイクシューズを「正しく管理できなかった」こととは、まったく次元の違う話なのだろうか。

人は、その能力の限界に遊ぶとき、それにかたちがあろうとなかろうと、それぞれが、それぞれの極限の中にいるはずだ。この若いカモシカのような少女がその能力の限りを尽くしてダッシュするとき、彼女の精神と体はどれほどの緊張の中にあるのだろうか。そして、スパイクピンには、どれほどの荷重がかかるのか…。

ここには、どのように些細なトラブルもあってはならないはずだ。また、それをする当人が「そこにどのようなリスクがあるか!」を正しく理解する機会や情報は、これでもかというレベルで用意されて当然だろう。少女は、はじめてスパイクシューズを履く前に、それらを「彼女が理解できる」レベルで正しく伝えてもらうことがあったのだろうか。

記録のためにツールや環境のハイテク化がすすめられ、システムの管理レベルもどんどん上がる。しかしそれは、同時にリスクを拡大し、環境や状況の理解の難易度を押し上げていることでもあるのだと正しく理解されているのだろうか。中学生レベルの部活動に、スパイクシューズが使用される状況が当たり前にあるのなら、こうしたことへの理解と配慮に、大人たちは、もう少し真摯にあるべきではと思えるのだ。

パートナーのビレーにすべてを委ねて、この不幸な登攀者のむくろを抱え、烏帽子岩を百メートルも懸垂下降したろうか。最後の20メートルほどが空中懸垂になって、ザイルの縒りの戻りのために、彼とともに空中をくるくると、くるくると回ったことを、30年ちかくたったいまでも鮮明に覚えている。

残念ながら、うんざりするほどにむなしく悲しい記憶だが…!。
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