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「ナオキ」 
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最良の日である!。しまね自然の学校に関わって15年になる。それ以前の「野遊び塾」や「自然塾」の時期も入れれば、17年ほどになるのだが、その関わりの大半は心地良いことばかりだったと解している。しかし、それらと少し違ったレベルで、今日ほど嬉しいことはあっただろうかと考えてしまった。 

半月ほど前に「ヒデの純粋…」と題した記事を、このブログにアップしたのだが、これにひとりだけコメントが入った。その内容に「ヒデ」のお母さんかとおもったのだが、それは兄の「ナオキ」だった。嬉しくて「ありがとう!」のコメントを入れたあとにメールを送り…。何度かのメールのやりとりに「しまね自然の学校を体験したナオキならではの感じていることを文章にしてみたら…!。」と伝えたのだが、今日は、これに答えてくれた文章が届いたのだ。

最良の日であった!。折よく現われた古いスタッフとともに、何度も、何度も読み返した。いつもなら、現われると3時間は話し込んで放してくれないそのスタッフも、このナオキの文章に感ずるものがあったとみえて、「ふむ…!!。」と言ったまま、黙ったままに読みふけっていた。

記述のスタイルは、わたしがここに書くコラムのようなものではなくて、いわゆる「小論文」の体をなしていた。そして、その内容に、正直、「やはり…!。」と感じさせられた。あえて記すが、断じて、この「やはり…!」は「想定されたレベルのつまらないものだ…!。」と言うことではない。

彼は、わたし自身の同じ年代の体験に照らして「想定していたこと」に触れていたのだ。と言うよりも、その部分にこそ着眼して、文章はまとめられてあった。

「… お互いのことを話していると、当然のことながら「島根って何があるの?」という質問が出てくる。初めのうちは「田舎だけど、豊かな山や森と、とてつもなくきれいな海がある」などと答えていたのだが、「???」「ふーん…」という反応に会話が続かないことが多くあった。…が、そのうちそれも嫌になって「出雲大社があるよー」などと適当にやり過ごすようになってしまった。…」

「…また、交友関係も少しずつ広がり、友人と買い物に行ったり、ゲームセンターやカラオケに足を運ぶことも増えた。恥ずかしいことに(?)島根にいた頃にはそのような経験がほとんど無かったため、どのように振舞えばいいか、どういう風に楽しんでいいのかよく分からなくて苦労した。連れて行ってくれる友人は、オシャレで遊びにも慣れ、何かと要領がよく、典型的な「都会っ子」だといえるかもしれない。しかし、何度かそうしたことを繰り返すうちに、楽しいな、と思うようにもなってきたが、いつも何か「違和感」があった。楽しくはあるが、どこか冷めていて、心の底から楽しいと思えなかったのだ。これは飽きなのか、まだ足りないのか、もしくは自分には根本的に合わないのか、友人たちを横目に見ながら考えてみたりした。…」

「…初めのうちは、うまくいかなくてモヤモヤした気持ちの原因は自分に何か重大な欠陥があるからなのだと思い、色々と雑誌や本を読み漁ってみたり、人のマネをしてみたり、自分を何とか変えてやろうと努力したが、結局何もうまくいかなかったように思う。…」

大都市に生まれ育てば、理解するどころか感じることさえあり得ないことだろう。たぶん、その質的なレベルには大きな違いがあるのだろうが、彼のこの「葛藤」を40年前の自分も同じように経験していた。だけに、これは「想定」出来たことだし、しまね自然の学校が、そのプログラムのデザインに徹底的に「島根」を意識するのも、この「葛藤」を彼ら自らが乗り越えるためにもっとも有益なツールが「ロイヤリティー」にもちかい「故郷への思い」だと考えるからである。

そして、ナオキも、ここに立ったようだ!。

「… だが、家族と電話で話して「目が覚めた」と思うようなことがあった。…自宅からの着信で、内容は「元気にしてるか、最近どうだ?」といったごく普通のもので、「別にいつもと変わりなくふらふらしとるわー」と適当に返事をして終わったが、その後しばらくして不思議なことに涙が出てきた。…」

「… 島根を離れ、様々な人に会い、周りの人をうらやましく思い、島根に生まれたことが嫌になり、島根を否定しようとした時期もあったが、その時、自分は何があろうと島根の人間であり、それで十分だということを今更ながら実感した。…島根には、育った場所があり、自分を育ててくれた人がいて、いつでも迎えてくれる家族(狭義・広義ともに)がいる。都市でスマートに生きることが最高の善であり、島根の生活は好ましくないものだ、などといつどのように思い込んでしまったのだろうか。…ここまで容易に自分の考え方が変わってしまったことに衝撃を受けた。…」

「…子供は教えられることによって育つという面もあるが、教えられることから自由になることによって育つという面もあるは確かなことだ。このようなことを考えていると、「しまね自然の学校」での体験を思い出す。…」

「… 小学校の高学年の時から、ほぼ毎月のように参加させてもらった。始めの頃は何をしていいのかも分からず途方にくれていたが、他の子供たちと遊んだり焚き火を囲んで談笑しているうちに自然と打ち解けていったように思う。遊ぶにしてもたいていは何か特別に用意されているわけでもないが、その場にあるもので誰かが何か思いついて、いつの間にか集まってわいわいやっていた。…その時は何か考えていた、というよりも体が勝手に動く、為すがままに任せる、という感じだった。何回か参加して慣れている子供が、慣れていない子供にアドバイスしたりする光景も見られた。スタッフも危険なことをする子供に注意したりはするが、それ以外で自分から教えに行くようなことはしなかった。教えてくれるのは自分から聞きに行った時だけだ。…キャンプをしたり、遊んだりしたところは今でも思い出す。初めは何の特徴もないと思っていた場所でもいろいろ遊んでいるうちに自分の庭のように感じるようになり、帰るときはいつも名残惜しく感じていた。島根県には「豊かな山や森と、とてつもなくきれいな海がある」という答えを返していたのはこれを念頭に置いてのことだ。…」

ここにあげたナオキの文章は、わたしがその意図する部分を切り取り組み立て直している。元の文章には、上に引用した部分のあいだに、例えば、イヴァン・イリイチの「脱学校論」や「コンヴィヴィアリティーのためのツール」などの引用も見られ、彼が、ここになにを書こうと懸命であったのかが良く解る。だけに、本当は、ここに「ナオキの文章」と題して、すべてをそのままにあげようとも考えたのだが、それをあえて止めた。

理由は、彼の現在のこうした文章を書くためのスキルレベルと、その未来的な可能性を考えたからである。

まず、はじめの読後感は「ああ!。育ったな…!!」だった。そして、次は「こういう結論を導きだせる体験と理解の環境に、彼は、いるのだな…!。」なのだった。だけに、もう一度、この原稿をナオキに戻そうと考えたのだ。

彼の切り取ることがらは、本来なら、われわれの時代こそが若い世代の育ちのために真摯に、精査・検証すべきことなのだろう。だけに、彼が、自らの体験に照らしつつここに着眼してくれたことはとても嬉しいのだ。しかし、だからこそ彼に、もう一度、彼が感じ理解するものを俯瞰し直してほしいのだ。

彼が、感じ理解し、この文中に記そうとするものは、われわれレベルで感じ解することだ。ナオキは、言うなれば、われわれの「弟子」のような存在なのだ。そして、「弟子」とは、師匠の肩にこそ乗るべきだ。師匠を踏みつけ、その上に、彼は、自らのオリジナルな認識こそを見つめるべきなのだ。

ともあれ、しまね自然の学校の主催者として、ナオキの文章に触れることができて、彼がなにを見ているのか理解することが出来た今日は、これまでの人生になかなかにないほど「最良の日!」であった!。

ナオキの未来と、その可能性にこころからのエールこそを送りたい。

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