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豊かな暮らしのために… 
「… いまや世をあげてのインターネット大ブーム。…いまのブームに危険なものを感じている。このままでは、人と人の交流が薄まり、現実への関心がなくなって、社会の大切な部分が失われてしまう。インターネットは、理想の楽園という幻想で満たされた、からっぽの洞窟なのだ…。「そんな馬鹿な!」と思う人は、まずはページを開いてみてほしい。…」

表紙のカバーにあったこの文章に感じるものがあって、『インターネットはからっぽの洞窟』(クリフォード・ストール 著 / 倉骨 彰 訳)を読んだのは、もう10年も前になる。

「インターネットについての洞窟学的序説」からはじまって、「コンピューターが人間をつかうということ」や「ネットを飛び交うからっぽの会話」などなど、たしかに当時のWeb環境に思い当たることがらについて、どこかシニカルだが的を得てると思わせる内容が展開されていた。

「嵌った…!。」というより、その後、インターネットについて考えるとき、いつでもこのクリフォード・ストールの、少しシニカルな論理があたまの片隅にあったし、「自分は、『からっぽの洞窟』にもてあそばれるのほどの馬鹿でもない!」という思いあがりにちかいものがどこかにあった。

しかし…!。

コンピューターやインターネットの環境に、10年前とは、たしかに「はるかな古代を思わせる」かのような状況にあるようだから、この期に及んで苛立つことはおろかなことでしかないのかもしれない。だけに、苛立つことはよそうと思う。

だが、最近、これに「何たることだ!」と思うことがつづくのだ。

知人がはじめたブログにさまざまに触発されるものがあった。また、テキスト系の自分がこれまでに書き溜めたパソコンの中にさながら澱のように溜まった文章も、そろそろ整理が必要だと考えてもいたことから、2ヶ月ほど前からこのブログをはじめた。

だけに、当初はブログの公開も面倒なものを感じていたのだが、Web上に上げてあれば、いつでもどこからでもそのデーターを見たり読んだりできる便利に公開もした。そして、しばらくは、ありきたりの当たり前にあったのだろう。

だが、最近、この『インターネットはからっぽの洞窟』を読んだことが「何たることだ!」と後悔するぐらいに、Web上に「感動」と「喜び」に出会う機会がつづくのだ!。

数年前に、いわゆる不登校の子どもたちや、引きこもりの子どもたちに関わる機会があった。しかし、そうした経験のない自分に、なにほどのことを理解することが出きるのだろうと考えたことから、実際に、しまね自然の学校の「倶楽部はうす」に数ヶ月ほど引きこもりを体験したことがある。

そして、それがすべてということでは無いのだが、このときに感じた「引きこもる心地良さ」をさらに検証してみたい思いもあって、現在、自分の住まいする上津の谷からできるだけ出ない暮らしを楽しんでいる。だけに、引きこもりなどを懸念される立場におられる方々から見れば、ときに不安をも覚えるかもしれないと思えるほどに、いまのわたしは「どっぷり、引きこもる」状況にあるのだろう。

しかし、現在の、こうした状況への自身の認識は、まったくそうした理解にはない!。どころか、たぶん、ライフワークとした登山や出張の多かった仕事も含めて考えてみても、「人に出会う機会」の多かった若い時代に比べて、いまのインターネットを通した環境に、はるかに質の高い「出会い」と心地良い日々を過ごしている。

つまり、『インターネットはからっぽの洞窟』などとは、とんでもない偏見であり間違いであると言わざるを得ない!。

写真は、半月ほど前からリンクをいただいている北海道にお住まいの meLL flowers さんの最新記事にアップされていた美しい数枚の写真の一枚なのだが…。じつに、この写真に唖然とさせられてしまった。

じつは、我が焚き火小屋には、この写真のmeLL flowers さんの作品がディスプレーされた窓のような飾り棚がある。もともと、違う建物の事務所だったスペースに書類用のラックとして作ったものを、デザインをそのままに焚き火小屋に移したものだ。じつは、現在は、音響用の設備のスペースも兼ねたこの飾り棚のディスプレーに3年ほども悩んでいた。

ここに、meLL flowers さんの作品はパーフェクトだと思えたのだ。だけに、まるで我が焚き火小屋のために、デザインしていただけたかのような感動に唖然としたのである。

しかし、meLL flowers さんの作品の凄さはこれに止まらない。じつは今日、デザインに詳しいある知人とともにこの作品を拝見しながら話をしていたのだが、この知人曰く、meLL flowers さんの作品に「アメリカ」を感じたそうだ。つまり、北海道の社会的な文化に本土にはないだろうモノを感じるというのだ。

古い伝統や歴史にしばられることなく、あたらしい可能性や価値あるものを受け入れる社会の存在である。meLL flowers さんのさまざまな作品には、そうした環境に自由に発想・発揮される洗練されたダイナミズムのようなものがあって、知人は、これに、じつに「アメリカ」的な現代アートに通じるものを感じるのだという。これに、わたしも同感である。

また、半月ほど前には、これもリンクをいただいている方のブログに関わるのだが、その方のアップされた写真に、30年もの永いあいだ、自身のこころの中に揺さぶられ続けた内的心象とでもいうべきものの整理をつける機会を得ることなどもあった。

こうした、わたしという個人が、当たり前の現実的な暮らしの環境にいるだけでは体験どころか、意識することさえできないと思えることが、このブログをはじめてから続くのである。一体、インターネットとはなんだろうか!?。

ある男女共同参画関係の施設に関わる知人は、現在の高齢化が進む社会に、このインターネットの有益性を意識されているという。ブログならではの相互関係のあり様に「一人になりがちな老人たち」の、主体的な福祉の可能性を意識されているのだそうだ。大変、素晴らしいことだと思う。

じつを言えば、ブログは、いまだ2ヶ月を過ごしたに過ぎないのだが、ネットのオークションの環境を活かして、しまね自然の学校に関わる実験的な事業はずいぶん前から続けてきた。これはノートパソコンを自作・再生する不登校の子どもたちの支援事業である。

子どもたちに、オークションで、ジャンクも含めたパーツを探させ、それぞれに自分で落札させる。自分で取引をして、大人たちとさまざまに関わることで、ときに大人たちに「だまされたり」、また「思いがけない感動」をいただいたりと、彼らは、現実の日々の暮らしにはまったく経験できようもない体験をしたようだ。

さらに、新しいものを買えば10数万円もするノートパソコンが、少し古いパーツを集めることで自作できることの感動もあった。ここでは、そのOSに該当するものに「Linux」を使ったのだが、子どもたちは、この素晴らしい世界に「科学や文化が個人に資するモノではなくて、この世界中のすべての人々の共有すべき財産であること」も理解したようだ。

ともすると、一見、匿名性の社会に特有な課題もあるのかもしれない。だが、しかし、その質高いものを真摯に見つめてみれば『インターネットはからっぽの洞窟』だなどとは、まったく大きな間違いであると気付くだろう。
  
ともあれ、嬉しいことに、このインターネットという素晴らしい世界が、わたしの「上津での豊かな田舎暮らし」のためにもはやなくてはならないモノになってしまったようだ。


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※写真は meLL flowers さんにご無理をお願いして、嬉しいお許しをいただき、感謝しつつ、ここに掲載させていただいた。
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