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使う人を… 
ランチの後にのんびり野菜畑を眺めていたら、いつもの「じゃましていいかね!。」の声がした。「勾玉」の古老が、あたらしい作品を見せにきてくれたのだ。回を追うごとにその完成度が上がるそれに驚嘆しつつ、二人で盛り上がっていたら、焚き火小屋から地主さんのおばあさんの楽しそうな声がする。

おばあさんは、ふだん、とても静かな方だけにめずらしいなと思っていたら、「神戸から来られて…!。」と、ご親戚のご婦人を二人連れてみえられ焚き火小屋の話をして欲しいという。

「凄いです!上津に、こんな素敵なところがあるなんて…!!。」と、お二人は声をそろえて絶賛される。

嬉しくはある!。この数年の焚き火小屋の動きの中心にさまざまに関わる者として、これは、大変嬉しい言葉だ。しかし、うかがえば、お二方は、おばあさんのご主人のご兄妹だという。つまり、町にでて、町に嫁いで、もうずいぶんになるとおっしゃられたが、ここは故郷なのである。

「あなたは、凄い!。」と、感嘆の声をいただきながら、しかし、すこし不思議な気がした。

なぜなら、焚き火小屋には、これといって特別なものなど無いはずだからである。たしかに、これまでの上津になかった幾つかのデザインはあるだろう。しかし、その素材のすべては、ここ上津に当たり前にあるものばかりなのだ。つまり、地元の方にすれば、当たり前にありふれたものばかりなのである。

いつだったか!?。古老が「まげなことをしなさるね!。」と笑っておられて、この意味が分からず、笑い話になったことがあった。だが、その意味を教えていただいてから、個人的には、焚き火小屋に、この「まげなことをしなさるね!。」がもっとも嬉しい評価なのだ。

しかし、これはあくまで個人的なレベルの思いだと理解している。だけに、これをだれかに押し付けようなどとは、けして思わない。だが、それでも、すこし不思議な思いが残る。

わたしが、焚き火小屋にすることは、ときに「創ること!」も含めて大半が「作ること!」だ。そして、これらは、自分に「出きる」のレベルに過ぎないことだし、その「出きること」の難易度にしても、取り立てて評価を受けるほど凄いことなどではない。

これは、当たり前のことである。なぜなら、「出きること」とは、誰だって、無理すること無く「出きる」からするのだろう…。

だけに、お二人の「あなたは素晴らしい…!。」が、なんとも大仰にすぎて妙に解せない!?。

「目に見えるかたち」が評価され過ぎて、本来的に、もっとも評価を受けるべき状況や人々が見失われているような気がしてならないのだ。たしかに、焚き火小屋を作る側の中心に、わたしは居るのかもしれない。しかし、焚き火小屋は、作られただけで意味することなどあるのだろうか。

違うだろう!。ここは、“使う人がいてこそ意味がある”のだろうし、その意味することに触発され、意識するべきものを感じるからこそ、わたしは作るのだ。そして、現在、この焚き火小屋を、もっとも質高く使い関わる人々は「『田園に豊かに暮らす』を考える女性の会」と、そのゲストたちだと言えるだろう。

「ベロニカの会」の Veronica さんたちが、ここに上津ならではを大切に、この上もない素敵な使いかたをしてくれているからこそ、焚き火小屋にはその存在の意味が生まれるのだ。そして、だとすれば、現在の焚き火小屋に「凄い!」と思えるものを感じられるのだとしたら、その評価の対象は「ベロニカの会」さんたちと、その思いを共有するゲストたちであるべきだろう。

これは、「鉄のパン焼き窯」や「かまどのグリルパン」など、いわゆる備品のようなものでも同じことだ。「鉄のパン焼き窯」は、Veronica さんの「美味しいパンを焼きたい!」という思いと努力が無かったなら、それは単なる黒い鉄の箱でしか無いはずだし、そうした認識以前に彼女の思いがなかったなら、それ自体「存在することも無い」はずだ。当然、そのさきに、大勢の素敵なゲストが焚き火小屋にきてくれる状況なども生まれ得ない。

芸術的な衝動やインスピレーションによって、なにものかを生む創作的行為であるなら別なのだろう。だが、人々の当たり前の暮らしの中に、ささやかな便利や心地よいものを提供するレベルのツールを作ったり、その環境を整備するぐらいのことなど、大仰な評価をすることでは無いだろうと思えるのだ。

評価されるべきは、この上津に、丁寧に畑をされるおばあさんたちや、その野菜や美しい風景をこの上もなく大切なものと捉えて、焚き火小屋のすべてを使い切るベロニカの会のメンバーたちであるべきなのだ。できたら、上津を故郷に持つご婦人たちに、このことこそをご理解いただけたらと思えたのだ。

「巧者な人」と言う、じつに素敵な言葉がある。これは、かつて、地主さんのおばあさんのように「大地」に懸命に働く人を静かに支え、ベロニカの会の皆さんのように、地域に丁寧に暮らす人々のささやかな力になり得た人物を意味したのだろう。

この「巧者な人」が、わたしの上津の暮らしの理想なのだ!。

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