FC2ブログ
スポンサーサイト 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「山靴」 
深まる秋どころか、冬の気配さえ思われた冷たい雨の中を、気になることがあって近くの山に入ろうと考えた。状況を考えれば、ここにゴム長靴でも履きたいところなのだが、場合によっては木登りもしなければならない。

少し考えた後に、この一年ぐらい履いていなかった「山靴」を引っ張り出した。「山に入る!」と言っても、10分も歩いけば着いてしまう里山なのだが、一人で出かけることと、焚き火小屋に沿って流れる農業用水の水嵩を考えて念を入れることにしたのだ。

久しぶりに引っ張り出したそれは、「なんと、まあ…!」と、思わず声が出てしまったぐらいに埃まみれにボロボロだった。当然、管理すべきは、その持ち主である自分自身ではあったのだが…!。

この山靴を手に入れてから、驚いたことにもう10数年にもなる。当初は、トレッキングシューズに毛の生えたようなケバケバしいそれが、どうにも馴染めなかった。だが、その目的のフィールドが、かつて自分がライフワークの場とした「山岳」などではなく、「しまね自然の学校」の子どもたちと共に歩く野山であることを考えれば、これは妥当な選択だったのだ。

ともあれ、その埃を払ってこの靴を履いてみた。

杞憂! そして、思い込み…!。つまり、われわれが普段、感情にちかいものに意識することがいかに出鱈目なものであるかを理解した気がした。別な言い方をするなら、言葉や、視覚を持って理解することに比べ、体感として取得するものがどんなに素晴らしいことなのかをである。

十数年を履きつづけてきたのだから当然のことなのかもしれないが、なんともこのボロ靴が足に「しっくりくる!」のだ。

はじめて履いたこの手の靴は、ブルーのナイロン地の「キャラバンシューズ」だった。なんとも頼りなげな、しかし、土踏まずに滑り止めの金具の付いたそれを、いまにして思えば、恥ずかしく思い出すほど得意満面に二年ほども履いたろうか。

その後に、「山と渓谷社」の川崎隆章先生が主催されていた「日本登山学校」に29期生として参加して、はじめてまともな登山靴を手に入れた。ドイツ製の「ローバー」という裏出し皮の「山靴」だった。

登山に限ることではないが、こうした「専用のモノ」を手にすることは、その向き合う文化の理解に最良の方法であるようだ。山に行けない日々、「山靴」に保革油を入れたり、ピッケルにはアマニ・オイルを染み込ませるなど、丁寧に道具の手入れをすることをたのしんだ。考えてみれば、こうした時間が、自分の山への想いや、登山者としての倫理観を育み支えてくれたのではないかと思われる。

たぶん、これは、インターネットやマニュアル本の中になどないものだろう。ともすると、現代のように、使い捨てが当たり前ようになった時代には失われてしまった文化と呼ぶべきものであるのかも知れない!。

「日本登山学校」で幾人もの素晴らしい先達に出会った。そして、これは当時としては、もっとも質高い環境に「クライミング」を学ぶことだった。当然、それは、わたしの山の指向を大きく変化させ、装備の選択などにも大きく関わることになる。

ハンスワグナーの「スーパーフリクション」は、すこし大げさに言えば「人生をも変えた!」と思えるほどに、クライミングの世界の凄さを教えてくれた。つまり、従来のようにビブラムなどの固い靴底で「岩に立つ」のではなくて、「フリクションを効かせて攀じる」楽しく素晴らしい世界をこの靴は体感させてくれたのだ!。

フラットソールと呼ばれる「フリクション」を重視したクライミングシューズが、いわゆるゲレンデと言われた岩場も含めて、知られはじめたのはそれからずいぶん後のことであった。

時代も大きく変化していたのだと思う。

社会的には、高度経済成長が、あたかもそれが当然と感じさせるかのように一定のリズムを持って、安定して…。登山界はと言えば、ある種の競争感情だけにシフトされた「鉄のアルピニズム」と言われた極度に「ヒマラヤ指向」の強い時代が、その「無謀」とシステムの疲弊によって終息していたようだった。その後に、当時の登山に関わった多くのメディアが好んで使った言葉を借りれば、"ヨセミテからの「ニューウェーブ」の兆し”が見えはじめていたとも言えるだろう。

運が良かったのか悪かったのかなど、いまもって解らない。だが、こうした時代のうねりの中で、ハンスワグナーの「スーパーフリクション」というシューズに出会ったことは、わたし自身のクライミングの想いとそのリザルトに大きな意味があったようだ。

それが、70年代の終わりのいつ頃のことだったか思い出せないのだが、前穂高岳四峰正面壁の「北条・新村ルート」のフリー化を企画していた第二次RCCのメンバーに誘われた。これを攀じったときの靴は、登山靴ではなくて「体操シューズ」だった。室内競技としてのマット運動用の「体操シューズ」である。

これは、別段、奇をてらったわけではない。このルートの初登攀者である北条・新村両氏が、このルートの登攀時に地下足袋を履いていたと言う事実を考慮したからにすぎない。そして、たしかにこのルートは、ビブラムソールの登山靴で攀じるよりも、現代のフラットソールにちかい地下足袋の方が面白いクライミングが出きることを体感した。

ともあれ、これまでずいぶん多くの「山靴」を履いてきた。

冬のメインの靴には「ドロミテ」のシングルブーツがもっとも好きだった。靴職人の知人に仕立ててもらったカスタムメイドの靴などは、いまでも想い出の中に大切にしている。そして夏のクライミングには、「岩と雪」(1980年72号)の表紙を飾った「ミッドナイト・ライトニング」を攀じるジョン・バーカーの衝撃的なショットに影響を受けて大流行した、いわゆる「EBシューズ」なども当たり前に履いた。

考えてみれば、どうやら「山靴」とは、わたしの人生そのものであるようだ。

そして、現在、もっとも信頼できる「山靴」が、この埃だらけのボロボロのトレッキングシューズなのだと言えそうだ。

まあ、必要にして十分ではあるのだが…!。



※写真は、そのボロ靴を、汚いままにアップすることに気が引けて、GIMPを使って油絵風に加工した。



スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。