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豊かな暮らしを紡ぐ… 
強い風が吹いたりみぞれが舞ったり、ここ数日、上津の谷は冬の山陰らしい空模様が続いている。だが、そうした天候にもかかわらず、我が焚き火小屋では、Veronicaさんのワークショップやしまね自然の学校のワンディ・プログラムなど、とても素敵に心地良い日々が続く。

穏やかな天候にも恵まれた今日は、ベロニカの会のnatuさん主催のワークショップがあった。テーマは、このシーズンらしく「クリスマス・リースを作る!」だった。

natu さんらしくと言うべきか!。その素材は、藤つる、松ぼっくり、どんぐり、椎の実、椿の実などなど…。これに鮮やかにきわだつ緑は、きれいな実を付けたままの「桧の葉」だったりする。つまり彼女が、ここ上津の里山から丁寧に集めたnaturallなものばかりなのだ。大きなテーブルに広げられたそれらに、初冬の少し寂しい風景の中に、これほどの豊かさがあるのかとあらためて驚かされてしまった。

「ものを正しく見る目を持つ」ことの如何に大切なことか!。

また!。参加された女性たち(残念なことに全員女性)の繊細な感覚と、その手際の良さにも関わるのだろうが、「人はパンのみの生きるにあらず」と言う言葉を、少し視点を変えて考える機会を得た気もした。

言うまでもなく、「人はパンのみの生きるにあらず」とは、つまり「思想」である。ときに、われわれは、ある種、究極の選択をせまられるときなど、この言葉を自らの胸中に深く刻むことがままあるようだ。

「人はパンのみの生きるにあらず…!」

だが、この女性たちのワークショップにお邪魔して、わたしはこの言葉を少し違うところに捉えることが出来た気がする。

なんとも「嫋やかな」シーンを見せていただいた。とても心地良い静けさに満ちて、思いおもいに寡黙な作業が進む…。その女性たちの手先に「誰を思ってこれを…!。」と感じさせられたのだ。

「やま寺に 梅一枝の観世音 垂るる頭は 誰が為にこそ」

数年前のある春の朝早く、ちかくの山寺に登ったおりに…。山門にすれ違った老婆が手向けたのだろう一枝の白梅が、観世音の堂に気高く香ってあった。これに思わず詠んだ一首である。

寡黙に、そして丁寧に作業する女性たちの思いの中にあるものは、あの山門に無言のままにすれ違った老婆が観世音に願ったことと同じものであるはずだ。家人の健康と幸福と…。そのための本当の豊かな暮らしへの思いと…!。

イヴァン・イリイチが「シャドーワーク」に捉えきれなかったものを教えてもらった気がする。

いわゆる「専業主婦」などという概念の中に彼女たちを封じ込めてしまえば、見失われてしまう母や妻や、「女性たち」の本来的な立ち位置を…。

「人はパンのみの生きるにあらず…!」

なぜに女性たちとは、かくも真摯に偉大なのだろうか!。


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