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豊かな暮らしを紡ぐ…(続) 
なんとも、じつに心地良い!。

先日のベロニカの会のnatuさんの「クリスマスツリーを作ろう!。」というワークショップに連鎖して、この10年ほどを考えてきたことの結論がでた気がするのだ。

つまり、われわれの社会の健全で本来的な有り様に、かつて「女性たち」が居た場所とでも言えば良いのかもしれないことが…。

ある知人の「こどもらが野遊びをしていないのです!。(その育ちを意識すれば…)心配でたまりません!。」という言葉に触発され、気づいてみれば「しまね自然の学校」という子どもたちの育ちの支援団体を15年に渡って続けてきた。そして、その団体が立った場所とは、子どもたちが感じ大切に思える「ふるさと」であり、そのふるさとならではの自然の中に、彼ら自らが体感し理解するさまざまな「事実」であった。

だが、その「しまね自然の学校」の活動を通して、どうにも「それだけでは足りない!なにか…。」を10年ほど前から感じてきた。

「子どもとは、なにか!。」

子どもたちの育ちの支援をテーマとする団体なのである。これを意識すべきは当然の義務だと考える。そして、その課題の先に意識されるべきは「次世代」という認識であるのだろう。

「我が子」であり「我が家の子」であり、ときに「我がところの子どもたち」であるわけだ。つまり、それがボランティアだろうがボランタリーなシステムであろうが、いわゆる市民セクターが「子どもたちの育ちに関わる」とは、そのままに「地域社会の次世代の育成」に関わるに他ならない。

必然として、そのビジョンは「個人的なレベルの認識に基づくもの」であってはならないし、そのツールとは、出来る限り、風景や風土、またその子どもたちが帰属する社会の倫理などとのバランスが十分に図られた「ヴァナキュラー」なものこそが意識されるべきである。(こうした認識を欠いた「指導的」なそれには、一見、スペシャルな体験の提供にみえて、じつは子どもたちを「飼育」するにも似た状況を作りだしかねないと意識されるべきである。)

だが、ここに参加する子どもたち一人ひとりのこころの有り様を意識すれば、いわゆる「冒険的」な体験教育事業に保護者の参加は望むべくもない。当然、そのプロセスやレベルが意識されるべきである。だが、子どもたち自らが、わくわくとドキドキをあわせ持って何ものかに向き合うべき状況に、「絶対的依存の対象である保護者」の存在はときに不利益であると理解されるべきことなのだ。

ここに矛盾するものを感じたのだ!。

つまり、参加する子どもたちの帰属する社会のエスノグラフィーを理解しないで、その「次世代の育成」に関わることが可能なのかという疑問をである。

かつて、われわれの社会の子どもたちの育ちの支援環境とはどのような状況にあったのだろうか。子どもの権利を擁護するそれも、そして、いわるゆ「ジェンダー」など、現代社会に既成概念とされる人権論のすべてを意図して排除し、これを考えてみた。

言うまでもない!。ここに、必然として意識したのは、つまり「母性」と「暮らし」である。

かつて、「子どもたちの育ちの支援」に特別なステージなど意識されていなかった。子どもたちの育ちの支援は、その帰属する社会の日々の暮らしに当たり前にあっただけのことである。そして、その環境に、つまり体験教育用語にいう「ファシリティーター」が存在するとすれば、それは「母性」である。

だが、ここにいう「母性」とは、そのままに「母」であるとは限らない。ときに父や祖父母であり、兄や姉であったり…。ともすれば、けして「優しい」とは限らない隣の頑固な小父さんだったりすることもあるのかも知れない。そして、たしかなことは、子どもたちの育ちに関わりその母性を発動する側が、そこに「自らの利益や権利」など意識しなかったということだ。

そして、そういう「母性」に支えられるからこそ、子どもたちは、ともすれば冒険ともいうべき初めての体験に出会うすべてを「事実」として理解し、受け入れることが出きるのだろう。

つまり、こうした「環境」を作るべきが、子どもたちの育ちの本来的な支援に必要なのだと理解するにいたったのだ。そして、その理解したものが「しまね自然の学校」の活動拠点をここ上津に動かし、「焚き火小屋」を生んだのだ。

「焚き火小屋」は機能である。上津のように、その風景や風土との関わりに満ちた社会に、かつて当たり前にあったその暮らしのさまざまなことを体験的に理解する環境といっても良いのかも知れない。

当然、ここでの主人公は、子どもたちと、その「母性」である。


「…曾祖母がどうしてもお膳を使いたいというのなら、わたしたちは尊重して付き合って、ダイニングテーブルなんかにしなければよかったのだ。段差のある食卓だなんて。
ダイニングという概念も、大きなテーブルも、わたしはきらいになった。…」


最近、親しくさせていただいているある知人のブログに、これがあった。

この知人は「曾祖母」のたくあんの食べ方に連鎖して、ご自身が育ったころの農家のダイニングの風景を思い返されている。

ここに、わたしは、イヴァン・イリイチがその著書「シャドーワーク」に捉えきれなかったレベルのものを教えてもらった気がした。つまり、戦後という時代が選択した産業主義的近代化の影響に、「台所」(つまり地域社会を支えた女性たちの聖域)が、いわゆる「モダン」という錦の御旗の下に半ば強制的に「ダイニング」にと変化させられたプロセスに、家人(とりわけ女性たちが)の意識に、どのような揺らぎがあったのか…といったようなことだ。

知人が感じたことは、つまり「個の主権が理解されたさきの「パーソナリティーをパラレルに認め合った結果」という文化的な状況である」と言えるのかも知れない。しかし、幼かった知人がそこに感じたことは「家族の崩壊の予感」ではないのか。つまり、幼い子どもであった知人は、その「絶対的な依るべき場所」であった「我が家」に、「ダイニング」というモダンが持ち込まれたことで、それ以前の「ヴァナキュラー」で「コンヴィヴィアル」な状況に変化が起きたことを感じとり、そこに不快なものを抱いたということだ。

そして、その場所とは「台所」なのである。

知人のブログの文章にこうした理解をしつつ、先日の「焚き火小屋」でのnatuさんのワークショップにお邪魔していた。そして、じつは当日のゲストのお一人はどうやら「ソーシャルワーカー」さんであったらしい。つまり、子どもたちの育ちの支援や、その暮らしの環境のさまざまな課題について、ワークショップを主催したnatuさんにご迷惑ではないかと思えるほどに話が弾んだ。

当然、参加された女性たちの繊細な感性や、その手際の良さにも影響されたこともあるかも知れない。だが、しかし、わたしはイヴァン・イリイチがその著書「シャドーワーク」に定義した「専業主婦」などという概念のなかに女性たちを封じ込めてしまえば見失われてしまう「女性たち」の本来的な立ち位置をたしかに理解させていただいた気がしたのだ。

「焚き火小屋」は、かつて女性たちが地域社会を支えた連帯ための聖域だったころの「台所」のように機能した。また、主催したnatuさんは、いわゆる「世話する人」のポジションを担っていたのである。参加した女性たちは、ここにその本来的な心地良さを感じとり、なんとも「嫋やかな」シーンを見せてくれたのだ。そして、だからこそ、心地良い静けさに満ちた時間の中で、思いおもいに寡黙な作業が進み…。その女性たちの手先に「誰を思ってこれを…!。」と、わたしは感じさせられたのだ。

丁寧に作業する女性たちの思いの中にあるものは、家人の健康と幸福と…。そのための本当の豊かな暮らしへの思いと…!。

つまり、次世代としての子どもたちの育ちとは、こうした状況にある女性たちが本来的に発動するものに依るべきなのである。





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