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独学する自由とオープンソースという思想と… 

「…簡単に説明すればですよ!一般的なLinuxの起動シーケンスは、電源投入からBIOSがMBRに書き込まれたブートローダーをメモリにロードする。つぎにGRUBがカーネルとイニシャルRAMディスクをメモリにロードする。カーネルは、自身の初期化シーケンスを実行し、メモリにロードされているinitrdをマウントする。

さらにカーネルは、initrdを利用してルートファイルシステムをマウントする。また、カーネルは自身の初期化の最終段階で1番目のユーザープロセスであるinitを生成こともする。で、initは、起動すると/etc/inittabを読む。 /etc/inittabにはシステムのランレベルと、initが起動するプログラムが記述されていて…。つまり、initは、/etc/inittab に指定されているrcスクリプトである /etc/rc.sysinit、/etc/rcを実行する。…」

「…まあ、実際には、すこし違うプロセスもあるし…。だけど、大雑把に言えば、そんな感じなんですけど…。私の言うことが解りますか!?。解らないでしょう!。…」

「… 解らなくて当然ですよ!私だって、ここまでを理解するのに5年もかかっているし、たとえば、これまでに読んできた図書代を大雑把に考えても、軽く10万にはなるでしょう。…だからして、そんなことを、いきなり教えろって言われたって出来るわけないですよ!。で、だから、あなたがそのThinkpadを本当に直したくて、 Windowsの代わりにLinuxを使いたいなら独学しなさいって言ってんです。…」

一言もなかった!。

どころか、こいつはそうとうに傲慢な嫌な奴か…。もしくは、本当に正直な輩かも知れないという思いの狭間に揺らいでいた。

確かに、なにごとかを解するに、そのなにごとかを順を追って並べることができて、そのすべてを見えるかたちに学ぶなら、「教えてもらうこと」はあながち難しいことではないのかも知れない。だが、「見ることができないもの」を…。しかも、それには複合的なプロセスや、さまざまなパターンがあるようなことがらを理解するに、「教えてもらう」など、教える側に相当にその知識や指導力があったとしても、じつにこれは難しい。

安易に「教えてくれませんか!」と口にしたことを恥じた!。そして、同時に憤懣やるかたない思いにも似たものに脳裏が痺れるような感覚にも襲われた!。

「…ともあれ、あなたが本気なら、帰ったらThinkpadに電源を入れて、モニターにIBMのロゴが出たところで、F1かF12か、もしくはDeleteキーを叩きつづけなさい。その先に何があるか…! いまのあなたに、私が教えられることはそれだけです!。…」

三年ほど前になる。出雲市内のある喫茶店でお会いした人物に、Linuxについて…。いや、コンピューターについて、わたしがこれまでにただ一度だけ「教えていただいた」ときのことである。

現在も愛用するThinkpad240を手にしてから、そろそろ十年ほどになる。だが、コンピューターについて、わたしが、当時理解していたことはこのレベルだったのだ。だけに、彼の言った、F1かF12か、もしくはDeleteキーを叩くに、わたしは、壊す、壊れるというレベルではなくて、壊しても「殺されることはない!」ぐらいの緊張の中に叩いたのだ。

ちなみに、わたしはながくクライミングという相当に危険な遊びを楽しんできた。だけに、冒険することがあながち嫌いではない。にもかかわらず、この時の緊張を表現するに適当な言葉を見出せない!。なぜなら、数年を使ってきたとは言え、 Thinkpadは、購入時の金額が30万を越えたのだから…。

そして、そのキーを叩いたその後を言えば、しばらくのあいだ、ただただ、混乱と懸命との最中を漂いつづけた気がする。よく理解して、当たり前に扱うレベルに「コンピューターは断じて壊れない」と確信を持てるようになったのは、じつに最近のことなのだ。

そして、感謝とともに思う。三年前に、理路整然と「教えないこと」を断言し、独学することを進めてくれた彼に出会うことがなかったなら、じつに今の自分の理解はありえないと…!。

考えてみれば、わたしはじつにさまざまなことをする。クライミング、ナイフメーキング、金属から竹や木までを素材にするクラフトの類などなど。だが、これらについて考えても、じつはここでも、わたしに師匠はいない。

「独学する」などという言葉は意識しなかったが、気が付けば、「…したいから! 。こんなのが…、欲しい!。」のさきに、すべてを自分で考え、思いつくままに手に入れてきた。つまり、かたちあるものも、いわゆる技術などということもだ。

これを振り返えれば、じつは、わたしは常にマイペースにいたのかも知れない。考えれば、「教える者」がいない環境に「なにかを学ぶ」のだから、当然なことなのだろう。

飽きたら止める!。感心が戻れば、ときに寝食を忘れてのめり込む。しかも、そのスタンスは、いつでも興味を呼ぶ「好きなところから」なのだ。襟を正して誰かに「学ぶ」なら、じつにふざけた立ち位置であるのかも知れない。しかし、わたしの「生きる」は、わたし自身のものである。

だけに、これで良いのだ!。

言うなれば、独学するとは一人遊びにもにた優位にあるのかも知れない!。

「終わる」こと「完成する」ことなどに捉われず、常に「ベストに向かう未完成な状況」とでも言えば良いのだろうか。

じつに、わたしのThinkpadがそうなのだ!。当たり前の社会認知から言えば、十年も前の塵にもちかいノートパソコンが、まさに日を追うごとに進化するのだ。

Linuxという自由と、オープンソースというコンヴィヴィアルな思想に支えられて…。

ともあれ、件の知人との久しぶりの電話のやりとりに、そんなことを考えたのだ!。



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